Lesson#231;言外にのみ意味を持つ言葉しか操れない種族。

NHKのニュースの途中、ヒラリー氏の熱狂的な支持者が…と映像では、プラカードもってワーワー言っているんだけれど、何を主張しているのかわかりませんでした。高尚なことを叫んでいるのかもしれませんが、本音は「黒人なんかを大統領にしたら百害あって一利なしだ。やつらは今でも奴隷制度のことを根に持って、スキあらば俺ら白人を皆殺しにする気だ」などとレイシズムパラノイアバリバリかもしれない。逆にオバマ氏の熱狂的な支持者が実は「女なんかに大統領をやらせたら、いきなりヒステリックになって大変なことになる。まだ女性に参政権が無かったことを根に持って、精子バンクさえあればと、全アメリカ男性を去勢する法案を通す気だ」などと男尊女卑&虚勢不安バリバリかも知れない。
なるほど、実は大統領候補選の水面下にはアンチレイシズムフェミニズムの相克である。とするなら、前世紀の悲劇はまだまだ尾を引いているのだなぁ、と思います。え〜っと、まぁ、妄想ですけど。スイマセン。
最近は多く有名人のブログを巡回することによって勉強させていただいておりますが、人選が偏っているようで、どこを見ても同じように見えてしまいます。すごい既視感。それは大森南朋さんのバラエティ豊かな演技の幅に、全員でかかっても10000分の1ほどであると思われるほどの幅であります(野球のバットのもっとも細い部分ほど)。何の違いも無いのなら一本にまとめてしまえと言うのは暴挙ですが、本当に、ほんのちょこっとのことで良いのである、内容は。そう言ったものを頂点にすえた社会のはずであるのに「死ね」と言うメッセージで自ら命を絶ってしまうと言う悲しい事実が起こるのか?もしくはそう言った社会であるからなのか?誰も自ら命を絶った彼女も、「死ね」と書き込んだ人間を攻めることは出来ないでしょう。責められるべきは今世紀最初のディケイドが終わろうかと言う、ネクストディケイドの先触れも見えてきたこんな時期までかの社会を成熟させることの出来なかった僕らの世代にあると思います。
明文化されたルールなどではなく、結局そう言ったやり方はスマートでは、ヘルシィでは、エレガントでは、決して無い。幼児的なその衝動の重要性は認めても、それが絶対であるとするなら、僕らの社会は大部分、無意味なことである。
いつまでも幼児に与えられた玩具としての側面が拭えなかった、この国に何万台あるやも知れぬ用途不明のPC(と携帯電話)が結果として凶器となってしまった現実に動対処することが出来るだろうか?何でも出来る万能なものは、実は何も出来ないと言うことを露呈しはしないだろうか?心理学の表象のように、同軸上の両極をあらわすように。
大阪で振り回され他人を傷つける刃物と、東京で前科のあるものを絶望の淵よりもさらに深い地獄(カトリックでは自殺は大罪です)へといざなった銃よりも恐ろしい凶器はそこかしこにある。また刃物も銃も人が便利に生きるためのものであった、少なくともその発生当初は。とするなら、パソコン、携帯への戦慄はもはやどうすることも出来ず、フォビアを新たに生み出すでしょう。
なんと言うかもう、悲しいですね。