Lesson#226;六面すべて真っ白なルービックキューブ(一面25マス)。
ピアソラの「ブエノスアイレスの四季」は春の楽章で終わるみたいだ。それは春で終わったほうがなんとわなしに大団円を迎えたように見えるからだろうか?そう思うのは僕がまだまだ若いからだろうか?年を取ると春の意味が変わってくるような気がする。多くの春を体験すればそれがやはり少し悲しいものとして感じられ、タンゴの世界観に底通する郷愁なのか旅愁なのかそういった根無し草の夢想する郷土への慕情みたいな・・・つまり、ちょっと悲しい感じがしてくるような気がします。
僕は、いつでも、ちょっと悲しいのですけど。
やはり終わりと言うのは“死”を想起させますね。
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老人は玄関のそばの、通りが見える位置にいすを置いて座っている。日永一日ずーっと。
誰かがそこを通るたび、老人はその人々に帽子を軽く持ち上げ、微笑みかける。その微笑に答える人もいれば、そうでない人もいる。私はここに投宿4日目であるが、老人はここに認識してはいない。そうでなけりゃ、あの太った白いスーツの髭を生やした男に何度侮蔑されても微笑を絶やさないなどということは仏様ほど寛大な心を持っていない限り不可能だろう。
彼はここのオーナーなのだ、書類上の。実質は彼の三番面の息子夫婦が宿を切り盛りしている。この老人がこの宿を興すまで経歴ははっきりしない。死んだ彼の奥さんも彼がこの宿を経営しだしてからの付き合いである。彼の頭の中にしか、彼の記憶は無い。そんなところがこの宿のミステリアスな雰囲気を寄りいっそう際立たせる。
天井のとんでもないところにある足跡。壁には何語かわからない小さな落書き。どこにつながっているのか、構造上予測のつかないドアー。
そしてもっと奥深い何か。
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ピアソラの「ブエノスアイレスの四季」は夏の楽章で始まるみたいだ。南米の夏がどんなものか知らないけれど、一年を通しての四季を題目とした組曲の幕開けが夏であるのはやっぱり、太陽が強靭な地域のだからこそであるように思う。
というか、アルゼンチンの夏といえばカミュの異邦人だったりします。あの作品のものすごく強烈なインパクトたるや、タンゴと同じ国であるのを理解するのに軽く三年もかかりました。そりゃ太陽のせいだよな、殺人もタンゴも死も。と無理や利気味ですが。
僕はいつも、死について考えすぎなのですけど。
やはり始まりというのは“誕生”を想起させますね。
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あの時はすごい好きな女性いて、その人にそのCDを購入した直後に出会ったりして、あ〜いいなぁ恋は、今はもうそんなこと絶対無いけど。好きな人いないし。