Lesson#219;絵の中の水平(または鉛直)感。

 貪りたい者には貪らせておけばよい。貪りたくない者には貪らせなければよい。
 貪りとは必要以上に摂取することである。とするならば以上に膨れ上がる音楽ファイルの容量は貪っているとしか言いようがない。経験以上の何かを手に入れるのに必要なのは量ではなく感動の深さであろう。こと芸術においては。
 一生の間に付き合う異性、使用する机、着る服、食す料理、読む本、聞く音楽、見る映画・舞台・絵画、なんてものはきっと三桁も行かないのがあるべき姿なのではないかと思う。
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 結婚の相手って言うのは結局そのときそのときでフィットする人が違ってくるって考えると、一人に決めるなんていうのは、ちょっと無理な気がするのね、現代的な結婚観においては。
たいていの人が20代後半から30代前半にかけて結婚するわけだけれど、その相手とはその後、40代になっても、50代になっても、60代になっても付き合っていかなければならない。そのときに自分と相手を想像できるか?って言うとすごく難しいと思う。そして状況が変わったからってパートナーをほいほい帰れるもんでもない。だからそのときそのとき結婚という制度を遵守した上でのパートナーを選択するって言うのは不可能ではないけれども、実現不可能なことであって、結局制度としての結婚ってのは現在の希望的な結婚観とは別物である。
末永く連れ添う人生の伴侶って言う像があるし、それを否定も肯定もしないけれど、その人が今現在自身にフィットする相手だったとしても、
〜誰も遠距離恋愛を経験したことが無いのに、誰も結婚(と離婚)を経験したことが無いのにそれらが議題として語られる。と言う全員の脳が幼児化した場ではたいした快楽がもたらされないのは自明だったろう〜
って、うわ〜本音が、本音が、ついつい出てしまう。あ〜、学生の会話ってつまんねぇ〜。遠距離恋愛も、結婚も、ぐっだぐだの喧嘩も、どろどろの修羅場も、アクロバティックなセックスも、泣きながらの口付けも、同性間の性交渉も、離婚も経験したこと無い僕らに何が言えるというのか?(ここ、尾崎豊風に。ああ彼には見えていたんだろうな苦悩や欺瞞や、その他諸々のこの世の汚泥みたいなものが。僕はいつか彼よりも年を取ることになるだろうけれど、若者とは相容れない人間になっていくんだろうな。悲しい)。
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 世の中にひとつぐらい、神様の住んでる衛星があっても良いだろうね。すごくでっかくて、その中だけでひとつの生態系が完結しているような。いわゆる神様っー感じの人(人、って書いてるけどもしかしたら鹿とか、狼とか、そういった神秘的な動物の類かもしれない)が、いろんな動物に囲まれながら、人間の行いを見下ろしてんの。んで時々ちょこっとだけ介入してくるのね。ある人の乗る飛行機を些細なことで一便遅らせたり。