Lesson#215;僕は君にぶって欲しい訳ではなく、

 彼の人生において自己疎外がどれほどの意味を持っていたのかは、彼自身がそれを明確に認識するにいたらなかったとしても、彼の作品からは如実にそういった色が読み取れるのである。ある物事を一度、とことんまで疑いぬきながら、最終的に本能によってそこに引き戻されてくると言う、懐疑主義教条主義との行ったり来たりの中で彼が獲得したものが、作中にて描かれることが多い。しかしそれは、破壊と再構築の連続であり、結果、多くの人々にとっては当たり前のものが提示されているに過ぎないという表層のみの解釈における退屈に鑑賞者は襲われることとなる。
○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○
「宇宙サナギについて」
なぜ彼らがこういった手法でその人生の大半を、宇宙を漂いながらすごすようになったのかは依然、謎のままである。最も有力な説として彼らの祖先は彗星に住み、そこから崩れ落ちる小片上での棲息に適したものが発生。これらが宙域に単体で浮遊しながら、彗星の周期にあわせた長い生育ペースでの成長形態を獲得したのではないか、というものである。
サナギ、と表記されるようにこの生育フェーズにおいて彼らは固い(硬度8.9)外皮を有し、体内の共生生物数が爆発(成虫の体内に比し8オーダー程度)的に増加する。全体的に見て一つの生態系と言えなくもない状態である。
多く実例が存在するわけではないが、過去に幾度かこのサナギとの接触事故が起こっている。非常に長い周期を有するものでは、一生をかけて一周すると言う性質上、その挙動の予測が事実上不可能となり、建造中、供用中の構造物と接触を起こすことが多い。
●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●
 退屈な初期作品が、20年代以降の賛否両論、前衛懐古入り混じった作品群へ大きく変容した。と言うのも実は、結果の流麗かつ冗長な提示から、そのプロセスの暴力的な投げ付けとも取れる表現への変化であったというわけである。しかし、これは自覚的に起こった変化ではなく、会社側がベテラン制作チームをあまりにあたらない彼の作品からはずし、若手ばかり、付け焼刃、急場しのぎのチーム(と言っても、このチーム編成のリクルートも大変ユニークであった。紙幅の関係でまた別の機会で述べることとする)による製作を余儀なくされたが故の変化である。