Lesson#212;記憶者/記録者としての写真家。

ハードであると同時にソフトである。ハードであるかソフトであるかの差異。それは先行者がモノなのか、タマシイなのかという違いでしかないのだろう。前者であればハードらしくなり、後者であればソフトらしくなる。またハード、ソフト、どちらかとしての生を受けたとしても、その運命が変わることがある。ハードにタマシイを吹き込む場合や、ソフトをモノとして扱う場合がそれである。このとき創造者(とそれを取り巻く者)の意図は裏切られることが多いが、それを悲観する創造者もいれば賞賛を持って受け入れる創造者もいる。

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Minimal Expressions Part 1

Minimal Expressions Part 1

 
Serenity Dub 4.1

Serenity Dub 4.1

まぁ、ね。確かに電子音楽ではあるんですがね。両者とも盤としてのバックグラウンドがない(アーティストのクレジットはあるんですが、全然知らない人ばかり。僕の不勉強のせいもあるんでしょうが)のでなんとも言えないんですけど、クオリティーはすごく高いトラックが詰まっています。
前者のほうはミニマルなんてタイトルにはあるんですが、フツーにクラブミュージック(ハウスなのかテクノなのか、僕は詳しい分類には明るくないのでこういう風に言うしか無いのだけれど)ではないでしょうか。でも踊らないクラブミュージック(要するに今世紀的に有用性が希求される音楽の重要な部分が剥ぎ取られているのにアイデンティティはしっかりしているという非常に羨ましい。が、倒錯している状態)。ハードコアなクラバーと呼ばれる人々に言わせりゃどうなんだか知らないけれど、きっといまどきの若い人ってのは音楽が鳴ってることと踊ることが同期しない人が多いと思います。んだからこの盤は若い人のパーティーなんかで流しているとちょうど良いんじゃないだろうか。ちょっとうるさい、位の音量でかければ『えっ!?今なんて言ったの?ちょっと音楽がうるさくて聞き取れなかった。』って、女の子により接近できる機会を男性諸氏には提供できて、良いんじゃないでしょうか。
後者はタイトルに偽りなし。ダブです。リズムフィギュアもきっちりしています。よくできています。よくできすぎです。よくデキストリンです(ワケワカメ)。すばらしい。視界にうっすらと、ハッパ由来の煙がかかったような錯角さえ覚えます。

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 「何が楽しくて生きているのか、本当にわからない。」
 と、言われたら皆様どう思われますか?
 「人に自分の人生を、とやかく言われたくない。」
 と、思われることでしょう。あなたが職を持ち、結婚し、子供までいるような人で、私のようなすねかじりの若造にこんなこと言われたとすれば、胸座つかんで殴り飛ばしてやりたい、社会の厳しさを叩き込んでやろうか、と思われるも至極当然。
 しかし、問題は個人の価値観であります。個人間で価値観の相違が起こるなどというのは茶飯事。各人、今までの人生から価値観が醸造されるのですから、まったく持って同じ人生であった、などということがない限りは齟齬が起こってしかるべきです。
価値観を話し合う場においては、理解されない=否定であると受け手には捉えられることが間々あります。またさらに価値観の否定=自我の否定と捉えられることもあり、こういった場合には勢い声を大にして自身の価値観の正当性を主張し、自我を守らなければいけない。と、共有されない価値観の保持者に強迫的に感じさせます。これは野生環境の中での生命が生き残りをかけて必死だったことの、社会的環境での生き残りへの移行だと思われます。
 さて、あなたが私の価値観を理解できないように、あなたの価値観を私が理解するのもまた、難しいのであります。それが人生論や幸福論に話が及べばこう言う他ありません。
 「何が楽しくて生きているのか、本当にわからない。」