Lesson#211;炎とその外縁(1600度/25度)。

 野のウサギはそれを罠と知らずに捕われわれの食卓に上がる。犬はよく調教され、罠に打ち合わせ通り、体よく獲物を追い込む。
 社会によく適合し、幸せを手にする人々のことを十把一絡げにして機械の中の一歯車である。そこには個性も自由も何もない、不毛だ。等と言われることがある。不幸にも蜘蛛の糸に絡めとられた蝶でもあるように。しかし事実はそうではない。実は罠に陥っているのはどちらかと言えばアウトローに生きようと試みる人々たちである。
 従前のものに否を突きつけ、自身の存在に悩んでいる間にじわじわと麻縄でその四肢を、左足、左手、右足、右手と順繰りに結び止められていく。この様をもし哀れと思うなら、もし嘲笑を持ってみるようならば、やはり罠にかかっていると言う他ないのである。
 社会を前にして自由を手にするのが、過去に多くの詩人が目指したところであるが、成功するものは少ないのが現状だろう。
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Ocho I

Ocho I

 うっすらとね、と言うかこっそりとね、ディレイかエコーがかかっているんですよ。それってダブなの?どうなの?と。録音は72年ですから、そこら辺も視野に入っていたのかどうかは謎ですけど。ライナーの情報だけを頼りにしたレビューなんでなんともいえないのですが、直球なサルサかって言うとやっぱり一聴ではそう言い切れない感がぷんぷんします。モード的な進行で、ホーンによって繰り返されるテーマが変わることで展開している。ベースも繰り返しですね、基本。僕的にはサルサって、編成としてトロンボーンやトランペットが入ってるんじゃないの?くらいの認知なので、サックスやエレピ、オルガン(鍵盤は結構チープな印象。Vibも入っているだけれどこれも変だろ。なんか前景化しすぎ)なんかが入っているのは結構現代的というか、民族性よりもポップ(ライナーになるようにジャズ、ソウル、ファンクなんかのブラックミュージック)よりな感じがします。確かに曲調として、ああそれっぽいってのも途中あるんだけれど、トラック1からちょっとストレンジなので、そういった部分だけ取り出して聞けば、サルサバンドです。っーのはどうだろうか?
 音作りが摩訶不思議(パーカッションにうっすらかかってるディレイor エコー。いきなり爆弾のSE。女性のため息交じりのあま〜い声)だったり、編成も構造(モード、繰り返し)もファンク的、どっちかって言うとサルサ的なものをブラックな音楽にぶち込んだ感じがしなくもない。
 まぁ、ニューヨークなんだな、これが、きっと。