Lesson#205;統計学者にとっての偶然/神学者にとっての奇跡。

 誰が何処に誰を迎えるか?それは非常に重要である。僕の頭の中に新たに進入してくる情報たちは、それを知らなかった僕に死をもたらし、新たにそれを知ってしまった僕に生を与えるのだ。増加や拡大、付加と言ったものが単純に良しとされるのは釈然としない。刃物を与えられ(もしくはそれが人を傷つける能力を有していると知らされ)なかったほうが彼にとっては幸せだったかもしれない。彼女は、きっと出会うことのなかった心無い人間達(と、見えるが実は“達”ではないのかもしれない)からの中傷によって、大きな精神的負荷をしょって毎週精神科に通う羽目になった(実際、人間“達”によって箱の蓋が開けられただけだが)。
 こう言った話は科学史に付き物である。盛大に謳われる(ごく一部の)人類の(見せ掛けの)幸福と、黙殺される(多くの)人類の(ハードコアな)不幸の対比は、そこかしこに見ることができる。僕らはいつになったらこの天秤が無意味であると実感できるようになるのだろうか?天秤など存在しないし、したところでいわゆる天秤としての機能が果たして可能かははなはだ疑問である。目の前に傾く天秤があったとして果たして自身が立つ地平の水平を誰が証明できよう。
 傾いた世界ではもはやただ転がり落ちるだけである。