Lesson un#ed;何のために働くのか?それは風俗店に行くためです。

どうも皆様こんばんは。
世のため人のためにせっせと働き汗を流す。なんと尊きことよ。神もこの通り、きちんと見ておるぞよ。うむうむ、そなたはぜひ天国へ行かせることにしよう。そこには永遠の安寧が待っておる。
倫理・道徳観の中に宗教的価値観の浸透が希薄なこの国で労働に意味を付与するのは並大抵の難しさではございません。上記のような神の視点など導入しようもない(そもそも世のため人のためって何だよ。幸せに出来る人の数の多けりゃそれで良いんかいな。幸せの定義を置き去りにして)。
ならばオレの目的は利益追求。儲けるのだ、ヒルズのてっぺんに住めるように。花火を、それが炸裂するのと同じ高さで鑑賞するのだ。ハウスキーパーが何でもやってくれる。いい女がわんさか寄ってくる。さすが慶応→電通。ギョーカイ、ギョーカイ。グラビアアイドルと合コンだ。来週は女子アナだ。夜、家に帰れば窓の外に見えるナイトビュー(もはや死語・笑)。ぼんやりそれを見ながら酒を飲む
ではでは芸術などの表現についてはどうか?自己の衝動の赴くままに表現する。ああ、伝えたいのだ、この感情を。みんな見てくれ、聞いてくれ、読んでくれ。世界はひとつなんだ。想像してごらん、戦争のない世界を、みんなが平和に暮らせる世界を(なんと悲しきことよ、戦争は今を持ってなくならず、年端の行かない少年までもが女性を犯し、幼子を殺し、その目がだんだんとどんよりしてくるのだ)。
自身のエゴを隠すならともかく、目も向けない。自身のエゴに気づかなければ他人のそれに気づくはずもありません。実は他人のエゴのために精を出す。無意識に押し込んだままでは精神的におかしくなるのは目に見えているんじゃないでしょうか?心の奥底でとぐろを巻く真っ黒な代物は闇の中にあるから見えないのかもしれません
ですが、社会−自然ではなく−に生きる私たち人間はエゴエゴばかり言っていられないのが実状なのですね。エコエコです。あ〜くだらない駄洒落。子供たちのために青い空を。動物にも植物にもその生存権は確約されているはずだ。全人類、そしてこの地球の生あるものすべてにとっての幸せを(また“シアワセ”かよ!)。
僕のシアワセと、彼のالسعادهと、彼女のFelicidadと、あなたの행복と、そしてみんなのBonheur
とは大きく異なることでしょう。
僕は今の生活が心底つまらない。と思うこともしばしばですが、たいていはゲラゲラ笑っているし、享楽的な金銭の使い方もするし、自己表現の場も持っています。まあおおむね幸せなんでしょう。でも労働が世のため人のためって所に落ち着くのはなんだか納得がいかない。これではシアワセな労働はやってくるのでしょうか?これまでバイトは『あ〜なんか飽きたな。なんとなく“わかった”し』と言う理由でやめてきました。これから先定年までが思いやられます。