Lesson#186;真夏の夜の夢風の白昼夢

いい音楽って無理しなくてもいい気がするんですよね。妙に気張ってジャズって言い張るのはね、何か見ていてキツイと言うか。売り方の問題と言ってしまえばそれまでなんだけど、レコード屋でどの棚に並ぶ/並べられるかって言うのは、結果として名は体を表すと言うが如くで、Jazzの棚に並んでたりスィングジャーナルで取り上げられたりすると本人達の意思も売り出す立場の人も消費する人もやっぱりJazzだなぁ、と思ってしまうわけです。仕方が無いっす。そういうわけでこれはJazzだと、皆さんの間で共通認識が出来上がってるんじゃなかろうかと。
え〜一枚目はラテンで今回がアイリッシュ。エキゾティシズムをジャズの中にぶち込むって言うのは元々コスモポリタン志向の音楽(アメリカのポップミュージック全般)であった流れから言えばなんて事は無いわけで、今日的に戦前戦中のアメリカを通過せずに今日的にジャズを解釈すると色々な音楽にフィットするぞ、と勢いづいてもまぁさして驚きはしない。もうそういうのはある意味様式化しててJazz風にアレンジ、と言う言葉がある以上仕方が無い。エキゾティシズムの話は何の資料も無けりゃアイリッシュケルティックの差異について論じられないような僕に到底出来る話ではないと思いますが、なんと言うかここの所は真新しいとかそういう価値観抜きに個性化出来ないような気がします。でも実際通して聞けば全部が全部そう言う空気ってわけでも無いんですけど。まぁパッケージングの問題かな。
音大と言う場所が職業音楽人の育成の場である(と言ってしまうのが僕の学科が土木マン養成所で何の教養的要素も無い場に思えてくるのに似ているのですが、一般的に日本の大学は教養、哲学の足腰が非常に脆弱な気がします、普通の国立大学に四年行ってみて、かつ未だ卒業しないで、はじめて解る)。と言ってしまうのは良くないんだろうけど、もしそうなら、履歴は必ず表現上に出てしまう―僕のドラムのベードラはいつまでもHip Hopのそれのフィギュアから逃れない、のとはちょっと違う―はずだし習得した技術と言うのも、それが体を現してしまう。

細野晴臣サケロック(この人たちを知るようになったのは妹に教えられて。よもやジャニーズばかり聞いているだろうと思っていた高校生のガキに教わるとは)のラインを知ると、字句(記号)化されないような個性って大事だなと思います。