Lesson#178;何だみんな、そんなもんか。

え〜完璧に金銭感覚が鈍化の一歩を辿っており、惰性的な消費≒浪費が続き自己嫌悪と物欲の充足が交互にやってきて時折発作的に奇声を発すると言った行動がやめられませんが、やはり季節の変わり目だからでしょうか?そんなことは無い、と思われるかもしれませんが季節の変わり目には衣服の交換/新調が必要です。この国の高校生〜大学生〜社会人(初期。おもに20代〜30代前半で未婚、もしくは既婚で未だ第一子のいない状態)における消費活動の主たるものは一般的な人では衣服に関わるものが一番ではないかと思います。家賃についてはですね、実体としての消費が多くの方にとってリアライズされないわけで省くとしますけれど。そういう意味で、やっぱり消費が活発になるころなんじゃないかと思います。
そんないかにも現代的な季節の挨拶がまかり通るのかと言う疑問はさて置き、昨日ソフトボール大会があったんですね。ここで僕がルールを良く知らないのが露呈してしまい、散々な結果になりました。はっきり言ってスポーツは苦手です。そんなこといまさら言わなくともものすごくどんくさい人間ですから、僕自身の一挙手一投足からわかるんですけど、まぁアレですねスポーツが纏う空気みたいなのがね、強烈に嫌悪感を抱かせるんですね。ちょっとした集団トランス。
身体と感情のつながりっていうのは支持しますけど、そこがどういったところから入るか?人格形成において大きな意味を持つ時期、思春期においてどのようにそれを経験するかって言うのが世間一般のそれと僕のがちょっとずれている。乃至この疎外感、相容れない感、齟齬感などなど…となってるんですね。
僕の初めてのスポーツ体験は幼稚園以降の水泳(小6まで)なんですけどね、水泳なんてもうマゾヒスティックなことこの上なく、息が出来ない=窒息とは赤子が初めて体験する死でありますから、これがねすごいと思います。一度肺呼吸に慣れてからの潜水ってのはまぁ、きついですよね。しかも孤独で淡々と泳ぐしかない。ドンマイ。いまのプレイ、良かったよ。などとは何処からも聞こえてこない水の底です。あ〜酷いな、これ。監禁調教か、と。インディー・ロリータ・アダルト・ビデオ。今日は街の中古ショップ(古本、中古CD・DVDが置いてある店ね)のアダルティなコーナーに侵入する男性二名を見かけましたが、彼らにも溺れる寸前のチアノーゼみたいなのを経験して一度は―射精までは行かなくとも―勃起を経験して欲しいものです。
そして思春期の間、僕は水泳の効果虚しく、なんとも不健康に過ごすことになるのです。ものすごい頭痛持ちで、二三度ぶっ倒れました。今思えばパニック障害を発症しなかったパニック発作ではなかったともいます。以降頭痛薬を片時も離さなかった/持っていないと何処か不安。そんなちょっと予期不安めいたものを持ち続けていることからも、あの時きちんと対処すべきだったのかなと言う気もします。今みたいに世の中が、そういう事象について敏感ではなかったので、誰もそのことについて言及しなかったから仕方が無かったんですけどね。
顔にはヘルペスがしょっちゅう出て、ただでさえ醜い容姿がもっと酷い、グロテスクなものになる。これは容姿を異常に気にする思春期男子にとってはもう壊滅的打撃を与えるに十分であります。
そんなこんなで身体と苦痛が僕の中では密接に関係していくのでした。なんとなくズルズルとした感じ。あ〜っとね、鼻もズルズルしてたのよ、んで目も痒かった。ハウスダストのアレルギーがあってね。んで何かっちゅーと熱出すのね。大体平熱が37度オーヴァーでしたから、なんとなくだるいなと思ったが最後、38度以上の高熱に一足飛びでした、いつも。
で苦痛しかもたらさない身体から解放されるにはどうしても頭を使わなけりゃならなかった。でもこれは能動的じゃなくて受動的。喧嘩に負けて、今に見てろよ。とかでは無く。世の中にはものすごい向上心を持って身体ではなく頭脳にアクセスする人がいるけど、僕はそういった感じじゃなかったんです、ハングリーがね、微塵も無い。要するに屈折してたんですね、餓鬼の癖に。
そして高校では肺に穴が開き、大学入学時に心臓の欠陥が発覚、二十歳になったその週にがん告知、睾丸を片方取られる。こんな思春期後期はやっぱり酷い。しかも家にいながらのパニック発作(歯ガタガタ言わせながら悪寒と頭痛に耐える真夜中3時はものすごい恐怖で、薬を飲んで寝るんですけど『もう二度と目が覚めないんじゃ無いのか?』って言う不安で頭がいっぱいになっちまうんです)まであり。ズタズタ。
これじゃ身体上位のスポーツに対して嫌悪感を抱かざるを得ない。身体自体が嫌いな上に、それを使うスポーツの良好な体験が無い。そういった状況を無意識に、周到に避けてきた自分がいまさらながら愚かしいと思うのですがもはや後の祭り。どんな体験からも身体は絞め出しを喰らい、身体性の不在自体が目標化するようになってしまうことになりそうな気までしてくる。
不運を呪いたくなるんですが、それ以上に自分を呪わなければならない事実の枚挙に泣きたくなります。ウウ…。