Lesson#156;世紀末ゆえの悲しみ(ドイツにて)。

どうでしょうか?皆様。社会人になられた方も、大学院に進まれた方も、まだまだ
学部生の方も。いかがお過ごしですか?僕は、今期から四年生ということで、勢い“四”回生ノートのところをクリックしてしまいました。馬鹿ですね。いつまでも若い気でいたらいかん時代は僕のことなんか気に留めず、前に前に進んでいるのだ、と改めて感じさせられます。同じように僕に時の経つ速さを再認識させるものに、僕が馬鹿のように「かわいいなぁかわいいなぁ」と思っていた宮崎あおいさんがアルコールのCMに出演していた。というものがあります。嗚呼、あなたもいつまでも少女ではないのですね…と言ってもそのアルコールが梅酒である、という点に関してはギリギリなぐさめられる思いが致します。
さて、社会人の方々は本日が初出社、まさしく社会人の第一歩、などという方も多かろうかと思います。社会人。いい響きですね。その意味するところは『“社会”の“人”』。そして、ヒトをヒトたらしめるのはほかでもない、この“社会”性であります。とはよく言われるところですが動物が社会性など持たずに暮らしているのか?と問われると、これが小さなお子様からの質問であったりしたらなおのこと、彼ら動物を擬人化しちゃったりするのですが、まぁそんな特殊な場合は置いといて、チンパンジーなどの霊長類などは私どもの“社会”とよく似たシステムを共同体内で運営しているようです。これを動物奇想天外なんかで見せられたときに『わ〜、私たちとそっくり。頭が良いのね。』なんて言っちゃうのは、ちょっとお門違いだろう。全面的に進化論を肯定しそうな現代においては。と、勢いヒトの驕りに強い憤りを覚える動物愛護団体会長、もしくは捕鯨禁止を声高に叫ぶヒステリックな一部の人々にも似た僕の思いつきはやりそうにもありませんね。
そんな生物の発展史みたいな話はシカとしてもらっても構わないのですが、社会ですね、社会。いつの間にやら統一地方選が今週末に控え、ワタクシも成年を迎えた日本国民としての権利を行使すこととなるのですが日ごろの行いから察するに、とても“社会”の“人”とは言えないような僕にこんな権利が与えられてしまったよいのでしょうか?昨日見た映画『ラスト・キング・オブ・スコットランド』では実在した独裁者が描かれておりましたが、間違って与えられた権利というものは、とんでもなくおぞましいものを生み出します。一地方選の有権者と一国の大統領を安易にアナロジーするのは飛躍にしか思えませんが、あの物語は(舞台がアフリカでアフロ系の方々ばかりが出演するので。などというレイシズムの極北といった理由からではなく)ひどく動物的な匂いのする、要するに非社会的な世界での出来事のように僕には感じられたので、“社会”という1タームで今回つなげて考えてしまうのですね。高度で知的に振舞う先進国が実際にはピュアなものを汚している、という構図は社会性の裏にある残虐性と、ピュアネスもしくはイノセントの持つ残虐性がイコールではないことの証左にほかなりません。そしてどちらか、と問われれば私は後者を支持します。
今僕は研究室選択で悩んでおり、自分が望む研究室に行くために高度に社会的なゲームに参加しなければならず、現時点でかなり疲弊しきっています。だからこんなに趣旨一貫しない長文になったんだけどね。ここはひとつ運を天に任せてみます。