Lesson#155;被虐嗜好者の思考→自慰的自傷行為。

今日は僕の通う大学、九州大学の卒業式でした。僕はかの病気加療のため、一年留年しておりますゆえ入学年が同じ方々(とは言え、若干名ではありますが、僕の様に四年制大学に四年以上在籍せざるを得ない方、と言うのもいらっしゃいます)が皆卒業なさいました。卒業おめでとうございます。

社会人になられる方々へ、あなた方の汗の一粒一粒がこの社会の誰かの笑顔を作り出しています。これはどんなに尊いことでしょう。人間に許された最も高潔な行いの一、であります。社会の一員、とはこう言った行いが出来る人に与えられる称号であり、僕のようなのんべんだらりんと日々を浪費している人間などが、二十歳を越えたからと言って成人として選挙権を行使するだのといった事はげに恐ろしき。もう一度自身を省みる必要がありますね。

さて、九州大学には大学院も設置されており、多くの学生が進学し院生となります。人々の人生を実り豊かなものにする。と言う使命は高度な知識・技術を駆使し真理に迫る、科学・人文の先端研究にも期待されるものです。どうか学生の皆様、学究の徒として御邁進なさいませ。21世紀の日本はあなた方の双肩にかかっています。

そんな卒業式、僕は卒業していくある学友に対し大変失礼な態度を取ってしまいました。自分でもダメだな。と思う瞬間がどのような人にもあると思いますが、そういった瞬間と言うのは親しい人間の間の緊張感の緩み、倦怠的空気の中でひょっこり顔を出して来ます。普段なら人に対して、特に社会的地位の高い人や個人的に尊敬している人に対しては絶対取らないような態度と言うものを、今日は上の学友に対してとってしまった訳です。これは友人に対する尊敬の念の喪失である、と端的に見ることができ、要はまだまだ僕の人間が出来ていないだ、と言うことです。この件に関して平身低頭、謝罪の意を表さなければならないのは重々承知の上であります。しかしこの方が近日中に東京に発ってしまう。もうこの口を使い告げることが不可能であろう謝意は、こうして文章にしてするしかないように思え、いつしか伝わることを望むしかなく、その可能性も相当に低い、と自覚しております。

この方に対する敬意は僕がもっとも大切にしなければならないものの一つであったはずなのに、どうしてこうなってしまったのだろうか。僕の言動の構造的欠陥は今まで出会ってきた、僕のような小童に警告を発するやさしさを持った方々に指摘され続けたものです。それなのにこうやって繰り返す愚行は、フロイトなどの精神病理学を引っ張って来る以前の何か、魂の歪みといったものを感じさせます。嗚呼、スピリチュアル・・・。