Lesson#153;ロック・ターン・テーブリストの称号。

YUI氏の椎名林檎氏傾向が最近目立ってきました。YUI氏はつたない感じ、非磐石感、その歌唱におけるちょっとした不安(定)感(跳躍の多用)、が多くのファンにとって魅力であったと思います。日本では“未成熟”や“失敗(『頑張ったけれどダメだった』と言う要素を持った)”と言うものが高く評価されることが多いので(この最たる例は最近のフィギュア・スケート界であると思います)。
それが最近ではアコギをエレキに持ち替え(別にあのときのボブ・ディラン的といえる、もはや牧歌的な議論をしても始まりませんが、この変化は椎名林檎氏化傾向にとって非常に重要です。何せ林檎氏はシグネイチャー・モデルがあったはずです、エレキの)、歌番組の演出では前面から風を受けるなんて言う演出がなされ(髪がなびくほどの風圧下でキチンと歌えるのか?主にマイキングの問題において。と言う疑問乃至口パク問題も、もはや牧歌的ですが)、アレンジ面については明らかにロックよりになっている。何かしらの“強度”を前面に打ち出すこのイメージの変化は彼女を何処へ導くのでしょうか?
90年代最後期〜00年代前半にかけてのJ-POP界、特に女性人に目を向けるとこの時期様式(一聴して誰それと解る)化した人々(この時期依然も含め)を列挙すれば、椎名林檎氏、宇多田ヒカル氏、Misia氏、Aiko氏、浜崎あゆみ氏、大塚愛氏、倖田來未氏…とまさにスター、綺羅星のごとくであります。ここに挙げる彼女達はポップ・ディーヴァとしてくくられがちですが、実際には明確に棲み分けが出来ております。と言うかキャラ立ちが各々分かれていたから台頭するようになったって言うのが順当な流れなのでしょうが。
真っ先に挙げた両巨頭、椎名氏と宇多田氏は歌謡性、ポップネス、と言うベーシック(微妙な年代のずれによってそのベーシックも多少の差異がありますが、結果結実したものがNHK仕事という観点から見れば)が非常に似ている。しかし表現としてのロックとR&Bが大きく彼女らを分かつ。と言う、その出自(福岡だったりインターナショナルスクールだったり。まぁ福岡だから安直にロック的なものを想像するのもなんかあれですけど・笑)から見ればある種の必然の作用ではあるのですけどね。
Misia氏は圧倒的な歌唱力やカリスマ性とか、もうブッチギリでアーティスト感(めったに露出が無い、と言う点は60〜70年代フォークっぽいですが。『そんなんじゃねぇよ!』って・笑)が濃密であり、なんだか違う所に行ってしまいましたね。Aiko氏は少女性を前面に押し出しているように見えてどこか酎ハイの臭いがする、なんだかんだでもうちょっとした(“酸いも甘いも”の)酸っぱい物も味わって来た感が聴取できます。もはや彼女も30で、non-noの連載もなくなっちゃったし(雑誌は供給側の狙いと実際の消費側に微妙なズレがあり、実際はちょっと若い人が買っている、くらいな湯加減だと思いますね)。浜崎氏は少し古い、松田聖子氏まで遡るアイドル感から脱却し切れていない。かつダンスナンバーとバラードと言う両極を行ったり来たりが結果として消費は生まれても名曲は生まれない。去年も三年前も変わらない。様式化の行き着いた倦怠(決して悪い意味では無く、安定化ですね。安心できる)がそこにはありますね。大塚愛氏はかわいらしさ満点で、女の子が歌っている(ここまで挙げてきませんでしたがカラオケと言う要素は90年代以降のJ-POP史を顧みる上で、製作・消費と言うに側面双方においてかな〜り重要である事は言うまでもありません)と可愛くてどうしても抱きしめたくなってしまうこと請け合いでしょう。気軽に歌える敷居の低さ、親近感、がAiko氏のそれとは違う形で女性陣に、と言うか女性を通過し男性に受けるんでしょうね。いや〜可愛いって得ですね。そして倖田來未氏はもはや原爆でしょうね、って例え悪すぎですが。原爆、ほんとにアメリカ製のそれはエロカワイイ/カッコいいの雛形として米国のブラック・ミュージック界ではある種定石化していたもの(あんなプロモーション・ビデオ。夕食を囲んで、と言う一家団欒の際にTVから流れてきたら絶句。であります。気まずくなんのね、お父さんが『ウォッホン!』なんて咳払いしそうなほどに・笑)を持ってきたら意外にあたった。って何であたったんでしょうねぇ〜、なぞ。抑圧された性が解放されたのか?フェミニズムが結託したのか?なんとでも説明をつけようと思えばつけられるような気がするんですけど、どうも決め手にかける。う〜ん。とりあえずB-系女子の表層化(B-系男子よりも、あの世界特有の抑圧を受けて、存在としてはあったのだけれどあまり注目されなかったB-系女子層が一気に表面化した感はありますね、倖田氏の存在によって)と言うローカルな変化、ひいてはJ-POP界全体≒日本の道徳観(歌は世につれ、世は歌につれ。であります)にエクスプロージョンを与えたのではないかと思えるので、原爆(原爆、原爆なんて何度も書くとあんまり良くない感じがしますね・汗。なので以下書きません。ってか書けない。トラウマィック過ぎて・笑)。
で、話をYUI氏に戻しますが、彼女がこの日本限定のフォークというカテゴリーに入れられそうだったのはアコギ一本と映像的なイメージ(なんと言うか白いワンピースみたいなね、デビュー当時の)によって。であったが為に現在の彼女に違和感を覚えている僕ですが、ちょっと考えればあのときの曲も意外にロック・マナー(サビのコード進行とか、非フォーク的ですね。結構劇的。前述の跳躍とかも)なもので、ああいうスタイルで歌ってしまったが為にそう思えるのだろうなぁ、などと反省ですね。イメージではなく、きちんと分析しなければ。
え〜そんなわけで明日(って言うか今日だけど、もう・笑)のトップランナーが楽しみであります。

福は内!鬼は外!