Lesson#148;ガーリィ・フレイヴァード・ヘア・ワックス。

 先日のNHKでのグーグル特集をビデオに取ってまで、何度も何度も(嘘・笑。実際には二回しか見てない・汗)見てしまいました。関西テレビの謝罪の裏であったので、あんまり話題に上っていないようですが。あちらはものすごい視聴率だったんでしょうね、さぞ。
 取り上げられていた“全てをグーグルに頼る男性(と言っても少年にしか見えないその風貌はアンファンテリブル)”が、彼の高級アパートメントのリビングにあるTVを指差し『これは実際に販売店で買ったんだけど、必要な情報は全部グーグルで調べたんだ。販売員の言うことなんてあてにならないからね。』と言う大意の発言をされていました。『なんでもグーグル!』なんて躁病みたいな感覚が度肝を抜く。と言う以上に、その後彼の口から放たれた『自分の欲しいものはちゃんと解っているから。』の一言の方が僕には心に残りました。
『本当に自分が何を欲しているのか?』と言う問いは、僕のように常に微小な強迫性を抱える人間にとっては大きな問題であります。『あれもしなけりゃ、これもしなけりゃ、…』と追い立てられるような緊張感で充満した窒息しそうな世界では自身を見失いがちになります。ごくごく軽度(専門医でも同定不可能なほどの。とするとその存在が誰にも断定できなくなるのですが)の神経症は、今日の日本の若者が抱える社会病理とも言えるでしょう。それなのに、“グーグルを使いこなす”現代最先端と思われる彼のような存在が、そういった狂躁的な日本の若者の悩みなどを超越した、確固たる自己(を持っているかの様な。と言うのも彼の病性は番組後編で明らかになるので)をさりげなく見せる。の画があまりにも強烈な一撃だったのですね、僕にとって。がっくり来ちゃうよ、そんなこと言われたら。
しかし、番組の後半で明らかになるのは1)グーグルが操作するネット・検索社会と言うものと、2)情報を得ているようで実は提供している僕らユーザー、と言う二点であります。もし検索にヒットしなければ、そんな情報は存在しない。と言ってしまえるのか?全能知とも思われるインターネットは実は一企業の恣意性の下にあるかもしれないと言うわけですね。また上記の男性も自身の記憶すら検索で再構築しているような状況にあり、もし仮に彼が自身についての記述をグーグルで見つけたとき、その正否如何問わず鵜呑みにしてしまったら間違った記憶を植えつけられてしまうことになるでしょう。たとえば“付き合っていたかさえ微妙な関係だった人が『彼とはラブラブだった』などと書いていた。且つ何だかそれっぽい写真も掲載されているし”のような状況になってしまったら、自己は激しく揺らいでしまうかもしれませんね、僕みたいに確固たる自己を持たないような人間だと。

ほんの一瞬挟まれただけだったんだけれど、目の前にPCがありながら電卓を叩く人間、と言う映像も面白かったんですけどね(エクセル使えよ!ってね・笑)。