Lesson#143;いつも無人の『安息場』と呼ばれたホテルの一室。

 クリスマスの日に起きて最初の水分補給がイタリア産の発泡性鉱泉水でした。去年もクリスマス目覚め一発目の水分補給が何か?について日記に記していたような気がします。たしかあの頃僕はダイエットペプシばかり飲んでいたはずですが、一年を過ぎて健康志向は醤油のように真っ黒な液体を無色透明のミネラルウォーターに変えてしまいました。変化やチャレンジは自己の増大・拡張と言う側面が高く評価されがちですがその影で、〜を知らなかった・やったことの無い自分と言うものの喪失と新たな自身の限定があるわけで、これは見落とされがちですね。知識量や経験は直線的に増えていくようでも、可能性がそれに伴うわけではない。と言う感じで。なんにせよあのままダイエットコークを飲み続けていたらやばかったですね。この前授業で『ダイエットソーダばかり飲んでいたらサッカリンのせいで死ぬぞ』といわれましたから(先生なりのギャグだったのですけど・笑)。
 なんでクリスマスの朝における水分補給に言及するかと言うと、去年は朝っぱらからアパートの隣室のカップルの嬌声がうるさく、もしかすると彼らがその朝最初に口にする液体が恋人から分泌された何かしらの体液かもしれないな、なんて思っていたからです。今年は引っ越して、今クリスマスの朝に聞こえてくるのは子供たちの歓喜の声ばかりです。彼らのサンタクロースはお望みのプレゼントを持ってきてくれたのでしょうか?また、前住んでいたアパートの隣人はまだ去年の恋人と交際を継続し、今年も朝から互いの愛を確認しあっているのでしょうか?それとも一人だったり、恋人が変わったり、あの時出来た子供を見守る一児の父になっていたりするのでしょうか?とりあえず彼・彼女が今年も素敵なクリスマスを過ごせたことを祈るばかりです。今出来る事と言えば。
僕は昨夜遅くまで起きており、夜更かしが良い子らしくなかったのでしょう、サンタは来ませんでした。そんな遅くまで何をしていたのかと言えば、ジャン・コクトーの『恐るべき子供たち』を読んでいたのでした。この小説、短編であるのに描写が何とも独特で、読み進める速度がイマイチ上がらず、結局読みきるのに一ヶ月ほどかかってしまいました。きっと僕自身が飽きっぽいので、同時進行で何冊も読んでしまうというTVにおけるザッピングみたいなことをしているのも、読書に時間がかかる要因の一、とは思われますが。とりあえず『うわ〜、うわ〜、うわ〜。』とか言いながら読み進めたんですけど、悲しかったり、怖かったり、痛々しかったりで、面白かったんだけど人に推奨できるか?と言うと微妙な作品ですね。作品としては素晴らしい、とは思うんだけれど決して心地よいわけでもないし、別にこれを読んだこと無くたって大して損した気にはならないでしょう、誰も。なんと言うか、天才の所業と言うものはいつもそういうものなのでしょうか。
結論として、奇異な環境で育つと規格外な感性の人物になってしまうのだな、と思わされてしまいました。そして普通の人々がその感性に同調しよう、追いつこうとするのは相当のストレスがかかること。まぁ、話はフィクションなんですけど。実在する人物の話なら、僕はきっとエリザベートの虜でしょう。愛してやまない。見た目も大事ですけどね(笑)。