Lesson#134;今年はいつまでも蝉が居なくならないね。

 スマスマにおけるジャスティン・ティンバーレイクのパフォーマンスがカッコいいな、コリャ売れるはな、でもブラックでこんなことする人は居ないのだろうか、なんて考えていたらなんてことはない、プリンスの焼き直しじゃないか、ガハハ、買っちゃおうプリンスのアルバムゥ〜。などと思っております。
 え〜、さて、いよいよ、と言うのが悲しいほど世相に遅れをとった感も無きにしも非ずですが、この国で街中で聴かれる音楽の大半が年末の“あのイベント”に関係するものばかり、と言う季節になりました。それは地下鉄の駅で待っている間とて逃れられるものではなく、あ〜12月になっても雪も降らない、そして気温すら20度以下にはならないような南国の今時分の町のBGMはどうなっているのだろうか?わが国と同じようになんだかハッピーでウキウキなものばかりなのだろうか?いくら商業主義の先行する場では消費を加速させる目的でアゲアゲな音楽が好まれるのだからそうなるのは必然。
とは言えなんだか暗い、泣きたくなる様な、もしくは阿鼻叫喚『はやくここから出してぇ〜!』とドアを爪で掻き毟るような曲のかかる、ショップ、カフェ、があったとしたら?いくらそこがセレクトするアイテムがハイセンスであっても、いくら長い名前のコーヒーと言うよりはスウィーツと称されるものに近いと思われるほど甘い飲み物が多種取り揃えられていても絶対にはやらないのは火を見るよりも明らかですね。さめざめと泣きながら、もしくは方々の体で店からはいずり出てくるお客ばかりの店、まず入るのに勇気が必要ですね。
そんなひどい妄想はおいといて、去年僕はかのイベントの前夜が一年を通じ『ホテル』と名の付く場所が、国内外のVIPの方々御用達のハイクラスなところから若者の性交渉の場として供されるところまで、最も混む一夜であろう、と何の統計的根拠も無しに書き飛ばしておりました。あの頃はまだ一人暮らしで隣のカップルが朝から一発やっていてうるさいなと思いそれに負けじとパンクを大音量で流し、冬の澄んだ空気のために鋭敏になった日差しを窓から受け、ジャム入りの熱い紅茶をすすりながら日記を書いていました。あの頃は幸せでしたね。あんな優雅な朝はもうやってこないことでしょう。なぜなら僕の今の部屋にはそんな朝日は差し込まない。そのうえ窓の外はすぐ隣のアパートがありすりガラスなのです。絶対ひとり立ちしたら川沿いの部屋にしよう。ああそうだ、冬の朝の描写は難しいなぁ、なんて思い出に耽っている場合ではない。クリスマスだ、クリスマス。って言っちゃったよ。ここまで“あのイベント”とか言っていたのに(笑)。
BGMはクリスマスソング、ショーウィンドウにはプレゼント用のディスプレイ。これらは多く恋人達やすてきな家族向けであります。そこからアウトな人々はどうしているのでしょうか?と言うわけで次回。