Lesson#128;催淫性薬物エロインの使用に際しては。

 ニブロールを見た人がどんな風に感じているのか気になって、ブログ検索を使って色々調べてみたんですがあんまりたくさんヒットしませんでした。纏まった文章が読めたのは4つか5つくらい。でも“どこかに向かう感”とか“暴力的”って言うのは少なからず僕だけの印象ではなかったようです。あ〜、そういえばMixiは僕にとっては圏外ですので、あそこではすごく盛り上がっていたらどうしよう。誰かあそこに入っている人に見せてもらおうかしらん。
 何か書くって言う行為は、入力に対する出力でして、まぁ、その〜(出た!田中角栄)リビドーの放出ですね。肛門期の排泄行為であり男根期の射精に似た感覚であります。それに折角二千円も払ってるんだから何か残したいって気持ちもあるし。
 やっぱりまだまだ活字って言うのがメディアの主要部であるのは事実で、ここでの技術がきちんとしてればそれなりの説得力とかを得ることが出来るんですよね。トチ狂った内容でもそれなりに綺麗な書き方、テンポのよい文章、力強い展開、って言うのはついつい読み進めてしまう、そうかもしれないと思ってしまう、でそうだと信じ込んでしまう。往々にして教祖なんてそんなものだなぁ、と思います。シチュエーションとかその他諸々もこれには付加されていくんですけどね、現代的には。
 最近学術分野の人間(大学院生の兄を含め)の話を聴くことが多いんだけれど、なんだか彼らは内容で勝負しようとしていて、ここら辺の力がすっぱ抜けている感が否めないのです。何にも役に立たないこととか(と兄が言っていたのだけれど)、専門家や問題に対してコンシャスな人にしか解らないこととか、を声高に言い続ける割にはその外側にいる人との対話が少ないもしくは不親切だと思われる態度が多々見られると言う現実は悲しい、としか思えません。ディスコミュニケーションであり、停滞でしかないんだ、と思えてしまいます。
 正直になれば、面白くもないものに興味を持つ、摂取する、没頭するなんて事はありえないわけで、そこにカッコいいだとか可愛いといったリビドーに近いものを持ってこないと、駄目になるのは決まってるんですよ、どんな高尚な考えも。バカみたいに立ち回りながらその裏に狡猾な計算があり、知らない間に周りの皆までも幸せにしてしまうような人になりたい、と言う僕の願望はそこにあります。
 僕の言動には性的な表現が多い(オーラルコミュニケーションがオーラルセックス並みに、もしくはそれ以上に猥雑である。と言うことを目標に日々喋っております・笑)のは、レッド・ホット・チリ・ペッパーズのセックス讃歌と目指す所は同じで、リビドーの解放であります。フロイトについて興味を持ってしまった僕のようなバカならついついやってしまう安易な手段ではありますけどね。
 言っておきますけど僕だって社会問題にはそれなりにコンシャスですからね。自殺やいじめ、履修漏れ(なんと我が母校大分上野丘高等学校も遂に自白しました。なんと僕は下手すると最終学歴が中学卒業、ってなりそうです・笑)。でもその実、就活へ向けての時事問題対策だ、って言うものだったら皆さんガッカリしますか?大丈夫ですよ、僕は土星人で地球の皆さんを救いに来たんですから(この話の元ネタと僕との関連をスパッと指摘した人に何か上げます、ホントに)。