Lesson#124;ロングアイランド出身がキャリーオーバーを狙う。

玉木宏氏が某地方番組の中で『カフェオレが好き』と言ったコメントをしてかつ何杯も何杯も飲まれていたのに感化され、毎朝カフェオレを飲んでいます。彼がものすごくカッコいいので、それにあやかろう。と言う心理よりは、純な少女趣味的色合いが強い僕のファン心理、であります。要は純然たる彼への恋心からカフェオレを、シンクロニシティー、同化などの目的で飲んでるわけですね。結果的に彼のような容貌が得られてとしても(絶対無理・笑。体型的にも、顔相的にも、精神的にもワタクシの方が、距離にして何光年も遅れをとっていることは明らかですので、美容整形といった物理的・人為的な手法をもってしてもこの差を埋めることは出来ないでしょう)。で、今晩も見ることでしょう、のだめカンタービレ(超ミーハー!笑)。
 一昨日と昨日は田園都市に関するシンポジウムに参加しました。この分野の話は原典があり、E.ハワード著『明日―真の改革に至る平和な道』と言うものなのですが、これに対する理解が浅いままに広く議論される、もしくは“田園都市”のイメージが広がってしまっています。そうは言っても実際これを僕は今読んでいるのですが、中間部の支出や歳入といったこまごました話と言うのが、やはり僕が土木屋だからでしょうか、全然面白くない、退屈、つまらない、といった感じで忍耐が要るのです、読み進めるのに。そういった意味であの時代に彼の著作に関心を示した知識陣は今の情報化社会にいる僕らナインかよりも広範な知識を持っていたのだろうと思います。僕らはこの百年、何をしてきたのでしょうか?他人の日記を見る/他人に日記を見せる、なんて事ばかりしていてはいけない気がしてきます。
 え〜、話を田園都市に戻しましてハワードの理念、と言うものが非常に優れていたのはレッチワースと言う田園都市の一つの実例を見ると異論を唱えることが出来ないのですけれど(やはり原典に当たっていただくのがよろしいかと思います。著者には非常に失礼とは思うのですが斜め読みでもよいので、と言うかそうでもしないと最後まで読み進めることが非常に困難でしょうから。実体験に基づいて言わせていただくと、と低俗な僕を基準にするのはいかがなものかとも思うのですが・笑)、きちんとした理解をもっているのならそこから少し離れて言ってもいいと思いますね。別にキチンと理解していなくても素晴らしいオルタナティブな意見と言うものも出て来るでしょうし。
 話の流れでマルクスル・コルビジェがでてくるのですが、前者に関しては産業革命や資本主義の結果の暗部に悲嘆にくれた点ではハワードとの相似性があり、そのルーツは双子的であると思います。そして二人ともが社会システムの発明へと至る訳ですが、マルクスの予期できなかった中産階級の多くがレッチワースにて一世紀を経た今、幸福を絵に描いたような生活を世界中にモデルケースとして提示しているのは面白いっちゃ面白いですね。
 デザイン的な面でル・コルビジェが引き合いに出されたのですがやはり彼は建築家で土木屋ではなかったってことでしょうね。芸術性の高い建築について彼は評価されるべきなのでしょうね、やっぱり。
 と言うわけで課題である本シンポジュウムの概要、自身の意見をこれからまとめます。全部でA4七枚ほどになる予定ですが、サクサクっとやってしまおう。二、三時間で(超テキトー・!)。