Lesson#123;モンマルトン出身の靴職人エド・キリコ(N.Y.在住)。

あ〜、コート欲しいなぁ、ロングの、メルトンの、シングルで。なんて思いながら二、三メートルほど横で妙に色っぽい女子高生が読書に耽っているのをチラ見しながらPopEyeをペラペラめくっていたら、あ〜こういうのですよ、こういうの、って言うのが二着ほど載っていたんですが、MIUMIUとジルサンダーで、あ〜無理無理、こんなの買えんわ、とあ〜あ〜ばかり言っておりますがこんばんは。ここまでの多くの僕の妄想では無く現実に日の傾きかける、といった時間帯の福岡市総合図書館での出来事です。あ〜、もうそろそろ女子高生に欲情しそうで、末期だなぁ〜、僕も。最近パクリでTVを賑わせているのはマッキーこと槇原敬之氏ですが。なんでしょうか。引用なら引用でOKじゃないんですかね?僕は人からパクられるようなことが無いので松本零士氏の気持ちはわかりませんが。この世の中情報化が行き過ぎて個人の脳内と脳外(そんなことば無いと思いますが)の境界が曖昧になりつつありますので今後こういう問題は頻発する予感がします。真の創造性ってなんなのか?見たいな議論に行き着いて…なんて話していると妹が『パクった、パクらない、なんてセクハラと一緒でされた方がされたって思ったらパクリなんだよ』と言い放ちました。スゴイなこりゃ。槇原がゲイだ、松本さんもそれっぽい気がする、顔が、なんて思っている僕なんかよりかな〜りまともなことをコメントしております。
ことば、と言うのは非常にデリケートなものでありながら日常的な技術であり音楽的なパクリ(コード進行とか)に比べると容易なのです。キチンと内容を咀嚼しているかなどと言うことは関係無しに同じ単語と助詞を同じ並びで発話するだけでOKなのですから、一発でばれてしまいます。
菊地成孔氏がbounce.comの企画においてオレンジレンジに触れた際に彼らのパクリ(の技術とその巧妙さ)について述べておられましたが、元ネタがマイナー&そのままパクるのではなく一転二転する読み替えを行う&出来上がったものが似ても似つかない、位になればやっぱり面白くなるんでしょうけどね。
とりあえずこれから菊地氏(とペペ・トルメント・アスカラール)の新譜『野生の思考』をレヴィ・ストロースの『野生の思考』を読みながら、赤ワインとチーズ・オン・クラコットに律儀にチーズをのせた物を片手に聞くことにします。僕は熱病では無く癌になったので、あの時は薬の所為でずーっと耳鳴りがしておりましてので、今はサイン波やノイズがギャンギャンなってる音楽ばかり好んで聞いております。