Lesson#114;リズムで会話する近未来の海獣類。

 菊地成孔氏がクィンテット・ライブ・ダブでこの博多にやってくる。
とか
 内橋和久氏の即興ワークショップに参加する。
とか
 テトラの今週末のライブが面白そうだ。
とかで、先立つものが必要になってきたので日雇いのバイトをすることにしました。まぁ、他にもCDかったり、本買ったりで要りようになるだろうしね。なんせ僕は天性の浪費家、ですので。金も、時間も、若さも、ことばも、気力も、ミネラルも、愛情も、理論も、精子も、滋養も、電力も、色彩も、自然も、薬物も、動作も、水分も、睡眠も、音も。僕が浪費しているものなんて列挙していけばきりがないのですけど、浪費、と言う行為はどうしてもアートには結びつきそうにもありませんね。

内容は、天神のデパートでの皿洗い&給仕。前者は僕には合っている(単純作業を繰り返すことは、ミニマリストを志向する僕にとって、その繰り返しの中に微妙な抑揚、もしくは完璧な“静”を作り出すことへの最大の訓練となるでしょう)でしょうが、後者はどうでしょうか?時給は前のコンビニよりも良さそうなので、泣きながら仕事をして客に引かれる、なんてことは無いでしょう。僕みたいな精神性の低い小僧は、労働と言う金で体と時間を売ることに対し、高い対価でしか自尊心は守れない訳です。信念とか自己犠牲とかそういった考えが介在しない限り。この辺の話はきっと、風俗嬢やヤクザの鉄砲玉、そして極限に至れば神風特攻隊(僕の祖父がその候補生であったこと。さらにギリギリで死を免れたという事実をつい最近知りました。どおりでそうそう戦争の話をしない訳だ)や回天の搭乗員の精神を引き合いに出さなければならす、そういった話は僕は不得手なので数少ない生き残りの方や『顔にモザイク掛けてボイスチェンジャーを使うなら…』と言う方々にしていただくことにしてもらいましょう。精神分析などはせずに、僕は彼ら彼女らの話に真剣に耳を傾けたいと思っております。両者はどちらが高潔だとか言う下らない議論よりもこの二点を人のなすこととして、両者ともども僕が強烈に感情移入しそうだ、と言う予期から。

何よりも、知覧の資料館で総理が流した涙(とそれを放送するマスコミの真意が)と言うものが余りにも意味深長であった、と思う今日この頃です。