Lesson#112;灰色の雲に地上から青いインクを一滴垂らして。

 ヒップホップっぽいしぐさをしながら何故か敬礼をしていると、ふっとブラックパンサー党が懐かしく思えてくる今日この頃ですが皆様いかがお過ごしでしょうか?コンニチハ。
 眠る前に聞くゲット・アップ・ウィズ・イット(ディスク1)は催眠性よりも幻覚誘発作用の方が高いですね夢現でありまして現実世界のゆらゆらぎらぎらふわふわきらきらどろどろしたものがそのまま就寝中の夢に繋がってなんだか寝ているんだか起きてるんだか訳わかんないや、と朝を向かえてしまう訳です。
 ここ最近朝起きると雨、で秋雨前線がかろうじてこの国の、この季節の風情を、と言うものを堅持しているのですね(ここ、気象学の“前線”と戦術的な用語の“前線”を掛けているんですけど、解り辛いうえに面白くも何とも無いですね・笑)。
 そうこうする内に実は台風シーズンがすぐそこに迫っております。で、と言うわけではありませんが観ましたスタンリー・キューブリック監督の『時計仕掛けのオレンジ』。友人の中尾氏が良い、良い、と言ってたので。確かにスンゴイ映画、主人公が治療と称して施される処置は薬品による吐き気と映像としての暴力とレイプが、音楽(BGM)としてのルートヴィッヒ・バン・ベートーベンが重ねられ記憶が混同してしまうと言う作用の結果(○○してるときはつい△△しちゃうんだよね、って言うのと同じように)暴力その他道徳的に許されないものに対する衝動が去勢され、昔の仇にボッコボコ仕舞いにゃ自殺に追い込まれる(死にゃしないけどね)、って言う狂気の世界です。
 初めは『あ〜、アレックスって酷いわ。って言うか最新の音楽再生機器がテープなのか。あの頃からしたら近未来だった90年代、実は音楽業界を席巻したのはまたもや円盤だったんですけどね、キラキラした。』なんて見ていたんですね。暴力はひどい=しちゃいけない=でもしたい=主人公に自身を投影する。と言う感情移入の効果があるのを今鑑賞を終えて、すごいぞ!キューブリック、と唸らされるんですけど。
 で、アレックスが結局つかまって、ものすごい治療(助平な僕でもレイプ物のAVを瞬き無しで見続けなければならないのは結構苦痛でしょうね・笑)を受けて牧師の言う所の積極的善意の無い唯の“悪いことをしない人”になってしまう。
 シャバに出れば彼に恨みつらみがたぁ〜っぷりある人々の意趣返しの嵐で、なんだか去勢されて一種の善人になった彼と彼に暴力を加える人々とはどちらが悪いのかわからなくなってしまいますね。牢獄にぶち込まれるのが悪人でそれ以外はただの人。って言うなんだ悪の決定権は権力にあるのか、と言う悪しき考えに行き着いちゃいますね。
 最終的には暴力って言うのが人にとって必要であるのかってことですね。一応それが実行に移されるのは悪としてもそういった欲求が心を支配するような瞬間がなくなってしまった人間がどうなるのかと言うと、悲しい欲求不満か乃至幼児性愛か、錯乱乃至自殺、とか良い結果が生まれない気がしますね。とりあえず素敵な芸術作品と言うのは生まれ無いんではないでしょうか。
 うわ〜ウォッカが効いて来た前頭葉が痛い眠いおやすみ。