Lesson#107;フランス製アクション映画の底流。

恐るべきシンクロニシティーと言うべきでしょうか、今日TSUTAYAで借りてきたCD四枚全てレーベル面のデザインがピンクを基調にしたデザインでした。そうは言っても自分で選んでいるので神起こしたシンクロニシティー、とか超自然的なものなんかでは無く、僕の無意識の起こしたもんだとするのが正しいんでしょうけど。やはりピンクはサイケデリヤの記号的機能があるのでしょうか。

コンテンポラリーと歴史の間に。

今日は上述の通りTSUTAYAに行ってきたんですが、そこでダンスの専門誌を立ち読みしました。スポーツコーナーに二冊あったのですが、両誌ともバレエにフォーカスしたもので、最近僕が興味を持ち始めたコンテンポラリーダンスに言及したものがありませんでした。
自身を“コンテンポラリー”と言うことばが表す分野に押し込める人々の歴史認識ってのがどうなっているのか?と言うのが気になります。コンテンポラリー・ダンス、コンテンポラリー・ジャズ、コンテンポラリーなんとか(ってもう思い浮かびません・笑)僕自身がノイズとかアバンギャルド(あれ?“アバンギャルド”ってコンテンポラリーとどう違うんだ?今広辞苑を引いたら“前衛”らしいですね。“コンテンポラリー”は“当世風”だって)な所を志向していたとしてもまだまだ半人前どころか四半人前どころか十六半人前(クォーターのクォーター)ですので、いまさらキーボードの技術や音楽理論をチクチク勉強しているのですけど、これはもろに歴史の学習であり過去を自己の内部に回収しようとする行為ですね。
サンプリングが過去のダイレクトな参照であり、技術によって可能になっています、音楽に関してはね。再現能力の向上は記号化が劇的に推し進める可能性を秘めているんですね、と言うかこれはメディア・テクニクス(そんな言い方があるのか知りませんけど・汗)な問題なんでしょうけど。
僕はコンテンポラリーなもの、今ここでやらなけりゃいけない、他の人がやっててそれがそれなりに成功してるんなら横から掠め取るような真似なんてせずに、誰もやってないようなこと(需要が有るか無いかは別にしてね。自己満足でも、まぁ、そりゃ、ねぇ…笑。ある程度の使命感をもってですね…笑)をやんなきゃ、かといって基礎が無いと…と思って歴史を、技術を学んでいる訳ですが…

ああ、眠い。本当に話の途中ですいません、って話が纏まってないのに話し出したのがそもそもの間違いですね。ゴメンチャイ。