Lesson#92;彼女の愛するポップ・ディーヴァ。

今日は地元の映画館シネマ5へ『かもめ食堂』を見に行きました。旧友の中尾氏を伴って。と言うか半ば強引に連行して。
この映画、僕がどこで知ったのか?と言う疑問を中尾氏に『どこでこの映画の話聞いたの?』と問われて初めて自身に突きつけてみると、本当に思い出せず、はてさて何を見て、読んで、聞いて、この映画を知ったのか?さらにそこには『とても良い』と言う評価付きの記憶であります。
そういったサブリミナルな洗脳によって僕にもたらされたこの映画についての自信の評価は『きわめて良い』と言うものでした。フィンランド、と言う異空間、白人ばかり出てくることによる無意識的な羨望の充足。映画といえば洋画=ハリウッド=白人=アメリカ=…といういかにも稚拙な僕の幼児体験(子供のころは父の趣味で映画といえばハリウッドアクションものばかり鑑賞していたのです)が、ここにきても足を引っ張っているのか、という個人史的なものを差し置いてもやはり、この映画は一種の感動を僕に与えるのでした。
かもめ食堂を切り盛りする三人の日本女性がはものすごくキュートであり、前述の感動が白人礼拝主義的な僕のくだらない深層心理を乗り越え、そのキュートさを素直に受け取らさしめ、日本人についての自信がもてるというものです。
余談ですが、僕の友人が海外へ留学するという話を受けての僕の考えとして、何かを求めて海外へその手を伸ばす、という行為は相当の自国に対する見識が無い限り、良質な結果を生まない気がします。特殊な例を除いて。三年間位のビルボード全米ヒットチャート上位が僕にもたらした驚きと、菊地成孔氏が僕にもたらした驚きは、前者が後者の2.5倍位だ、と思ったりするからです。心地よさ、で言えばレディオヘッドの『Kid A』とDCPRGの『構造Ⅰ』はほぼ等価ですしね。
余談はまた別の機会にするとして、ヘルシンキ、という半ば日本人にとって夢想的な空間(この都市、名前を一聴した限りではRPGにでも出てきそうな、もうなんだかよくわからない感が満載ですよね。よくわからないですけど・笑。なんせ夢想ですから)のなかに置かれた日本がものすごい強度を持っているのだ、と認識させられるという意味で今の日本の若者にはぜひ見ていただきたいですね。

いいじゃないか!誰がいつ、どんな神社に行ったって!と言える自信が付くのはこういったメディアによって自身の帰属する国家に自信を持たせる以外に無いと思います。虚構だとしてもね。