Lesson#91;左手で取るそのリズム。

今日は広島に原爆が投下された日であります。先の大戦では初めて核兵器が実用に移された、と言う意味でその使用を踏み切った国にとってはセレブレタブルな日、なのでしょうか?初めて我が子が立った日、初めて我が子が喋った日、と言うように。アトムボーイ、と言う愛らしいその赤ん坊の名前。その子はここ60年で成長しもはや親としての人類の手に負えるようなものではなくなってしまいました。これを“ああ、やっと奴も親離れしてくれた”などと喜ぶ裏で、その成長は父親にとってエディプスコンプレックスによる自身への殺意という恐怖となって、ザワザワと胸のうちを乱していることでしょう。
僕達は戦後に生まれたからこそ、考えるべきことが沢山あり、死んでいった人たちに“良い時に死んでいったのだなぁ”などと不謹慎に思いをはせてしまいそうであります。一々どっかの神社を首相が参拝しただけであーだこーだとジャイアン見たいな国(中国のあの態度、どう見てもジャイアニズムを下敷きにしているとしか思えないぞ・笑)言われ、僕はブッディスト(しかも原理主義。と言っても原始仏典しか読んだことが無いってだけですけど・笑)なのに無駄に神道の知識を付けられたり、その神道の元締めみたいな人が本当に言ったのかどうかわかったもんじゃ無い側近のメモで第一党の総裁選が右へ左へとゆれたり(っても安部ちゃんで決まり、見たいな感覚がこの国の住民には根底にうっすらとあると思いますが)と、終戦から約60年たった今-どっかの誰かが『もはや戦後ではない』と宣言したにも関わらず(と言ってもこれが『これから戦前だと思いますよ。くるだろそろそろ次の大戦が』などと言う意識のもと出されてものなら、今は明らかに戦前の臭いがプンプンするので、と言うかもはや戦中ではないのか、とすら思えるので正しい宣言だったと思えますが)-ですらこれだけ悩まされている訳ですから、そういった不謹慎な愚痴と羨望を持つことは禁じえない、とお許しください。
ここまでくると戦争責任とか言う話しでは無くてですね、なんだかよくわからない怨念とか利害関係とかもうグッダグダの泥沼ですので、一人の人間におけるグダグダは心理学の援用とかでどうにかなりそうなものですけど、一国の今後ですからねぇ〜、ぶっちゃけテレビのコメンテーターとかに何かしらの解答、予測を頼むのは無理なんじゃ無いかと思いますね。ああ、暑い。こんなこと考えてると部屋のエアコンも効かなくなっちゃうね(怨霊のせいで・笑)。