Lesson#88;ごめんなさい、先輩。

テスト終ったよ!
テスト終ったよ!
ああ、余りのうれしさに二回も言ってしまった。
テスト終ったよ!
テスト終ったよ!
ああ、余りのうれしさに二回も言ってしまった。

なんと本当にうれしくて、全体的に二回繰り返してしまいました。
このうれしさは、昨日リングの上で泣きながら『親父のボクシングが世界に通用することを証明できてうれしい』と語っていた亀田君(19)の5/1679くらいのうれしさです。彼がダウンを取られ『やばいよ、やばいよ、負けちゃうよ、君は負けてしまったら、帰ってくる所が無いのに…』と半ば涙目でテスト勉強のかたわら、試合を観戦していたのですが、世論では『その競技性までもがプロレス化してしまうのか?』と言えなくも無い(と言っても亀田君、と言うかかの家族にまつわる撞着的なプロレス化なんてことを言っている人は、僕の知る限り菊地成孔さんだけなのですが)判定だ、と言う揶揄が飛び交っていますね。まぁ、僕はボクシングに詳しくないので何とも言えないのですが、なんと言っても判定ですからね、ハッキリしないのは当然ですよ。世の中で『判定』なんて言葉が出てくるシーンなんてなんだか後味が悪いのばっかりですから。DNA判定とかで誰の子だ、とか、ありゃ神の手だ、って言うビデオ判定だとか。はっきりわかったところですごく悲しい、ガッカリだってこともあるんだから判定ってのはキチンと白黒ついちゃうのも考え物ですね。なんにせよ、昨日の試合はですね、『亀田興毅(19)君がすごくいい人だったら(顔だけ見たらすごくいい人そうじゃないですか。ピュアっぽい、あの髪型とか高校球児みたいだし)、皆どう思っていたか?』と言うことに皆さん焦点を当てて欲しいですね。もし相手の選手にちょっとグレーな“勝利”の判定が出たときに、『なんちゅう判定だ!』と言う頭から湯気の出るような憤怒や、『良い、良いんだよ勝ち負けなんて。よくやった!』と言う賞賛が聞こえてくるんじゃないでしょうか、そこかしこから。なんたってこの国は今“愛国心”でいっぱいですから。
と言うわけで今日から僕は夏休み。亀田君(19。ってしつこく書くのは彼が年下なので君付けでも良いよね?と無意識に皆さんに、そして誰よりも彼自身への許しを乞うておるのです)、王座防衛に頑張ってください。やはりボクサーってのは体つきは美しい、エレガントですぅ。うっとり。