Lesson#58;やっぱりセンスってのはヨーロッパを志向しないと。

人間には欠如を補償しようとする性質があるんじゃ無いでしょうか?
たとえば目の見えない人の聴覚が恐ろしく鋭くなるとか、四肢の欠損を補うためにどこかの筋肉が異常に鍛えられるとか。まぁ、後者は多分に意識的なものがあるのですけど。
で、これが精神的な面にも言えるのでは無いかと、今さっきお風呂の中で二回目のシャンプーをしていたとき(僕は軽い脂性なのでシャンプー二回派、ですが皆さんはどうですか?)に、僕の二人の友人のことを思い出して考えたのです。
その二人の友人、一人は小・中通しての同級生で、もう一方は大学に入って知り合った人。両者とも女性であります。前者は小学校時代は三年連続同じクラス、中学に入ってからは同じ部活、しかも母親同士も学生時代の同級生、と言う文化的な相似から繋がりはかなり強固だと思います。この前中学時代の恩師の退官記念飲み会で久しぶりにあったその時代の友人の中で、彼女にだけ『いま俺、タマが無いんだよね、片方。』とストレートに言えたのはその人だけでした。後者はその『タマが無い〜』って言うときから急激に仲を密にする、今となってはこの日記でラブレターを公開してしまう、様な関係性のお人です。なぜか男性よりは女性との親和性が高く、友情を生成し易いのです。これは僕がバイセクシュアルである、と言う所に大きく因るものですね。
この両者に共通する欠如、と言うのは親御さんを片方亡くされている、と言うことです。中学時代の友人は母親を、大学時代の友人は父親を。そして双方とも、『死』と言うものが意識的に捉えることが出来るような年代になってからの喪失、です。前者は母親同士が友人であったことから、僕よりも母が悲しい、と言う事態でしたので正確にいつか、と言うのは把握していますが、後者は正確には把握しておりません。推測に過ぎませんが前述の時期とそう大差の無い時期ではないか、と思われます。
その喪失が彼女達に与えた影響の一つとして考えられるのが性格的なその補償ではないかと思われます。母親を亡くした友人は現在看護士をしており、この前聞いた男性との関係性からも『母性的なもの』を強く感じました。そして大学時代の友人は来年度からは都銀で働く、と言うバリバリのキャリア志向であり自立心は旺盛、男性との関係性も『ハッキリしなさいよ』と男に言える(実際には言明せずに感じ取らせる、と言う技術を持って伝えるのですが)様な人格で、僕はここに『父性的なもの』を感じます。
亡くしてしまったものを自身の中に構築しそれを補償する、と言うのが精神面の上でも起こっているのでは無いか?と言う疑問がこの二つのサンプルから考えられるんじゃ無いかな、と。僕の漠然としたイメージで記述される二人の人間像が甚だ主観的なのはわかるのですけど、彼女らに内在する『母性/父性』は喪失−初めからあったものが、強制的に剥奪される―と強烈な関係があるのでは、と思われてなりません。
フツーの人は母性も父性も剥奪されてはいない、それゆえどちらかを子育て(もしくは擬似的な他者の養成)を通して獲得する必要性がある。と言う状況であるのに対し、本能的な欲求による補償によって、どちらかを選択的に卓越させている前述のお二方は、その構造は(大半に比べて、と言う意味で)いびつでありながらも、僕みたいに全て与えられているような人間よりは強い、と言う特徴が見られるように思います。
それが僕をして、彼女らについての一考を書かせしめた要因ではあるのでしょう。
両者への愛を込めて。中学時代の友人には、彼女のような素敵な女性が尽くす(タイプらしいですよ、しかもダメ男に・笑)に足る素敵な男性が明日にでも、最悪夏前にでも現れんことを。夏のボーナス彼氏との沖縄旅行なんかに使えたら良いですね。大学時代の友人には自分に自身の持てる占いの結果、それを与えてくれるよく当たる占い師が見つからんことを。貴女は大変素敵なレイディですので、占いなんか信じないで堂々としていれば良いのですよ、と僕が言っても余り効果が無いように思われるので、ここは細木数子でも江原啓之とかいった権威にバシッ!と彼女の素晴らしい所(と本質的に重要なアドバイスを。やはり人間なら短所の一つや二つはあるものなので。僕はそこを含めて愛していますが)を言ってもらいたいものです。