Lesson#46;勘三郎翁のようには死ねない。

日記を書いていなかったのはある二箇所の掲示板に書き込みをしたからで、それによってここの文章を書く暇がなかったからです。ゆるりゆりるとmixiを攻撃していたら僕のかわいらしい麻生さんをおって、菅君がmixi入りしてしまった、と言う結末を見るに至。なとんでもない事態に。そんな現実にくらくらするなぁ、と今も若干頭痛がする中、書いています。
今日、僕の前世は犬だった、と強烈に感じました。何かとあの生き物とは縁があるんですよね。ふらっと入った店に犬がいる、とか言うことが過去あったりとか。彼らが人間に忠実に、ルールを遵守し規範の中で生きていくことを強いられている(本能的に)と言う事実の裏返しとしてのエキセントリックが今の僕に投射されていて、且つ規則に囚われがちである、と言うのが前世を引きずっているからだ、と説明がつくわけ。そして守護霊は猫。これは、なぜか僕の発想を自由にしてくれる保証、としての存在です。性格的に対局にあると思われるこの二種族が僕に深くコミットしているから、分裂的な人格を有するようになったんでしょうね。どうでしょうか?江原啓之さん。僕の自己診断当っていますか?フロイトが心理学を自己の内面探求によって創生したのと同じように、オーラも、前世も、守護霊も、自分で知覚できるようになるんじゃないでしょうか。誰にでも普遍的な事実、として捉えられないものは一人の神秘体験でしかありませんよ。『赤い色が見える』なんて『幻覚剤か何か飲まれましたか?』と尋ねてしまいます。
明日から実家に帰ります。母がいるところが僕にとっては家、帰るべき場所なんです。というようなことがリリー・フランキーさんの『東京タワー』に書かれていたと思いますが(今手元に無いので確認できません)、僕にとっては父しか居ない大分のマンションが実家である、という認識ですから、幾ら物書きになろうとしても彼のようにはなれないでしょう。彼の文章をそうたくさん読んでいる訳ではないので、彼からの影響は薄いと思われます(文章で影響を受けている人がいるとすればやはりとりもなおさず、菊地成孔氏です)。
最近はバンドの話、してなかったですね。やっぱりバンドがやりたい、と言う衝動は忘れたつもりでもふとした瞬間に頭をよぎるものです。戸田君と中尾君と僕ならSax+Piano+Drumで山下洋輔トリオのコピーが出来るじゃないかと思ったりするわけ。
明日(でなければ次回更新で)は自己嫌悪と自己陶酔について思うところを書いてみようと思います。さて僕はどちらよりの人間に見えますか?当てた人には何か上げます、バイトの面接に使った僕の証明写真の余りとか(誰も要りませんか、そうですか・涙)。