Lesson#17;アリストテレス、ブッタ、アインシュタイン、ハイデガーら

気が利かないことにおいては全世界第三位くらいの僕です。女性との逢瀬、と言うのはいつも緊張します。特に昨日みたいにプラスα(贈答品、花など)な部分についてはまったく持って門外漢ですので、そこの所はもうグッダグダですね。会話、については『男性は会話の内容に意味を見出す。女性は会話それ自体に意味を見出す。』(前者は理解し易いと思いますが、後者はコミュニケーションやメディア、記号論について学ばないときっと理解できないと思います)と言う一点を忘れなければ男女間の相違は容易に乗り越えられる、と言うメソッドの導入によって高校時代の女友達からは及第点をもらえるほどに上達していますので大丈夫だったのではないかと思います。でも会話が成立してもそれが相手にとって不快なものとならずにエレガントさを維持し続けるためには経験とセンスと機転が必要になってきます。それは大抵個々人に対するケース・スタディになってしまいますが、前述のメソッドがバークリーそしてドミナントモーションな物だとすると、もはやこれはモード手法的です。そんな音楽へのアナロジーはもっと勉強してからにいたしましょう。
話は変わるのですが、今日も悪夢で目が覚めました。今日は本当に殺される夢。趣的には『小学校に気違いが乗り込んできて、刃物を振るう』みたいなものです。男にナイフで首を掻っ切られる、って言うね、凄惨な夢です。大体夢って『殺される!』とか確信した時点で目が醒める(おちる夢、とかその典型でしょう。夢の中でも防衛本能は維持されてるんでしょう、きっと)もので、先日の夢も刃物や鈍器、毒物などが登場する前に『ああ、きっと僕は殺される』と言う漠然とした感覚だけで目が覚めてしまったのに対し、なんと今回はざっくり切られて失血によって意識を失っていく瞬間まで目が覚めませんでした。こんなに何回も夢の中で死んでいくと自身に自殺願望があるのではないのか、とも疑ってしまいます。リストカッターは『ツー』っと血が滴るのを見て安息を覚えるのに対し、夢の中の僕は頚動脈から大出血ですからね、ブシャーって。しかも目が覚めてもその切られた所が実際にヒリヒリするという恐ろしさ。とりあえず自身の連想の範囲でアナリーゼすると、僕を殺す男はロジカルに解明できない恐怖、なのでしょう。それが現実世界における具体的に何の象徴なのかは解らないんですが、将来に対する漠然とした不安(芥川竜之介見たい・笑。そう考えると彼は躁鬱病で、欝状態のとき自殺したのでは、とか考えてしまいますね。彼のそれは『ぼんやりとした』だったけど。やっぱり文筆家は違うね。僕は分泌家ですが・笑)だったり、無駄に年を取っていることだったり、成績表の“再試験”だったり(最後のは非常にロジカルですが・汗)。
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ああそうだ、今日本当に書きたかったのは、大学入試の後期の発表が終ったと同時に駅に予備校のポスターがビヤーっと張られたのにウケたってことだった。えげつないですよね。仕方ないけど。でも『一年で人生は変わる』の文句には共感。今マイルス・デイヴィスの自叙伝を読んでいるのですが、彼がニューヨークに出てきてからに一年そこらの経験を読むと、『そりゃあんな人間になるわな(笑)』と思いますよ。何も変わらない一年を送ることもそれなりに(どころかよくよく考えると結構)難しいですけど、僕は中学時代の恩師に『現状維持だけでは後塵を拝する』と教えられたのでそれをあまり良しとは思いません。京都的な現状維持、と言うか保存は大いに賞賛できますが、『ナァナァで』みたいなのは死ねば良いのに、と思います。