Lesson#10;そして人へ尽くすことが最上の喜びだと知る

『は〜い!みんなぁ!こんにちは!体操のお姉さんだよ。きっと“あれお姉さんって言ってる。お兄さんじゃないの?”って思ってるお友達もいるかもしれないけど、お兄さん本当は“お姉さん”だったんだ。今まで嘘ついててゴメンね。確かに男の子の皆と同じように僕にもおちんちんがついてるんだけど、僕は“男の子”じゃ無いんだ。みんなには難しいかもしれないけど僕、体は男の子でも心は女の子なんだ。だから女の子じゃなくて男の子のことが好きで、男の子のおちんちんを飴玉見たいのしゃぶったりもするんだよ。ちょっとフツーとは違うけど、みんなの周りのお友達にもきっといるよ、僕みたいな子が。』
なんてNHKの体操のお兄さんが突然自分の性について語りだしたらどうなるんでしょう?あれって収録なんですかね?確か生放送だったと記憶しているのですが、一瞬で『しばらくお待ちください』で放送中止でしょうね。製作陣は『だからあんな奴を雇うの俺は反対したんだ。見てみろ、こんなことになって。ただじゃ済まされないぞ。きっと俺たちゃ全員クビだ。』なんて感じで皆絶望。あぁ大学の時の友人みたいに民放に行っとくんだった、フジとかならこれくらい何でもなかったろうに(泣)。いややっぱりハロプロ関連の仕事してモーニング娘。が旬な頃に二、三人食っとくんだった、テレ東に行って。などと人生について回顧的になることは請け合いですね。僕はメディアが文化の捏造という
役目を放棄してからそれらへの嫌悪が僕の中で優勢なので彼らがヒィヒィ言ってるのを見るとうれしくなるの、というサディズム。そしてメディアに憧れることによってサディズムと対を成すマゾヒズムを内在させているのでこんなこと言ってますが、まぁ体操のお兄さんがゲイでも、性同一性障害でも世の中変わらないですね、きっと。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
スタンリー・キューブリックの『ロリータ』を見ているんですがこれってなんてジャンルの映画なんでしょうか?TSUTAYAじゃ『クラシック』の棚にあったんですけど、そんな抽象主義(そんな主義あるのかどうかも知らないけど・笑)的カテゴライズは機能不全、結局どういった分類か意味不明ですね。恋愛映画でしょうか?それはきっとYES。サスペンス映画でしょうか?それもきっとYES 。悲劇映画でしょうか?それもきっとYES。喜劇映画でしょうか?それもきっとYES。この原作がロリータ・コンプレックスの語源ですからハンバートをロリコンだ、ということは出来ないんですけど、一応幼児性倒錯って事にすると現在的視点からすると彼をそう同定するのは難しいですね。彼が狂気を抱いているのは解るんですけど、それはロリコンでも異常性愛でもなくて、彼から受ける印象は深い悲しみですね。そういう意味では凄い演技力。訴求力は抜群です。
アメリカ映画がシリアスなものを作ろうとするとどうしても狂(興であり恐でもある)的なものになるのはやはり世界で一番病んでいて且つそれを自覚している国だからでしょう。自分も狂ってるし隣人も然り。アートはヨーロッパ、リラクゼイションはアジア、パッショネイトはアフリカ(ラテンアメリカは殺人です。勝手な思い込みですが・笑)。