えぇ、マンチャスター!?

っていうかいきなりですが“ALFIE評”です。映画の。それは昨日の晩見たから。作品の鑑賞なしに空想だけで批評するなんて卓越した幼児的常套手段、と言うのは僕には許されていないので、ちゃんと見てから書きますよぉ〜。日頃はスノビズムから『やっぱりゴダールだろ?』なんでこういった俗物的(凄い失礼だな・笑。僕のゴダールマニアへのステレオ・タイプにすぎませんが)な映画を見るにいたったか、と言うとこの映画の主題歌を昨年僕の所属する楽団が定期演奏会で演奏したからです。高校のときもそういった経緯で『ノートルダムの鐘』を見ました。あのときほど一般的に『過激だ』と言われるようなTVゲームよりも幼児に対して暴力を助長するのはこっちの方だろ、と憤慨したことはありません。ディズニーアニメは随所随所に悪への処罰としての暴力が散見されます。あれの方が単一な価値観と凶暴性を育てる要因ではないでしょうか?その結果がアメリカである、と言う一般的な嫌米家のような意見は僕も言いたくはないのですが、あんな映画を子供に見せているところからそんな意見も信憑性を得るところとなるようです。僕はアメリカ大好き人間ですので、そういった意見を擁護するのは大変な苦痛です。友人の蛮行を嘆く感じで、『あの女はやめとけ』みたいな。
話はそれてますが皆さん思い出してください、アルフィーですアルフィー。アルフレッドの愛称みたいですね。最初の30分はギャーギャー言いながら見てました。何せかっこよすぎるほどに格好よすぎなのです、アルフィーが。何せジュード・ロウですから見てくれはもう100点満点どころか、120点どころか、原平さんに3000点どころか、ジュード・ロウさんに10000点なのです(クイズ・ダーヴィーって知ってますか?)。そのアルフィーの相手をする女性陣も言うことナッシングに、“良い女”ばかりです(凄く粗野な表現ですね。これじゃあ女性に対して失礼なのでもっと良い表現がないかと思うのですが、それを考えるだけでまた三時間くらい費やす+30行くらい費やすのでやめます・笑)。
そして最後の30分はアルフィーの悲哀に涙涙なのです。最後のジョス・ストーンの歌う主題歌のパワーは涙をそそりますね。病院で知り合った老人ジョーとの砂浜での会話、あのシーンが僕のもっとも欲する所でした。亀の甲よりも年の功ですか?なんにせよ自分の夫人を親友と表現することが出来るのか、と言うのが男女間(男男でも女女でもそれはもちろん良い訳で)の豊かさをあらわすのではないでしょうか。要するにどんな関係にもなりうるヴァーサタイル性のある人間関係を築ける事が肝要なのでしょうね、とか何とか言っちゃったりして、言っちゃたりしてぇえ〜。僕が今、人格崩壊寸前の狂喜乱舞、と言うか躁でアッパーでアゲアゲなのは、そういう作品だったからです。簡単に“素晴らしい作品”だったとかではないですよ。賞賛を与えられることが必ずしも良いことではないでしょう。不可解な賞賛、浅い理解は製作者への愚弄に過ぎません。僕の文化履歴が作り出した僕の感性がこの作品とこのように呼応する、と言う事実があるにすぎません。しかも鑑賞前に食べたフルーツサンドもこの気分の高揚に寄与しているのは紛れも無いことであります。僕のように日頃酒類を摂取しないものにとって、甘いものが脳に与える刺激は絶大です。僕のそれ(フルーツサンド)の好みは、中身はイチゴのみのものですが、近くのパン屋のものはキウイも一緒にはさまれていたので少々ムムムという感じ。実家に帰ったら食べたいものの一つがこのイチゴとクリームのサンド。これを子供のときから食していた、と言う文化履歴がキウイも一緒にサンドされたフルーツサンドに抵抗を感じさせるのです。解りますか?だからこの映画の鑑賞後のこの気分の高揚も僕が通過してきたものによる所が大きくこの映画単体が持つものではないのであしからず。だからこそこれを見た人に同じようにこの効用があるとは思えません。と言うか僕はバイセクシャル、なので登場人物の多くに恋できる、と言うのがこの高揚に対して大きな役割を担っていると思います。偶像への恋はあまりにも安易で簡単ですので、陥り易いことでしょう。が、あえて付記すれば僕は3分に一度恋をする男。今日も食堂で一人、僕みたいに午後3時に食事(ネギトロ丼と何か椀物)を取っていた眼鏡の女性、と生協購買部に“PCが壊れた”といってその修理を頼みにマシンを持込んで『保証書?何ですかそれ。今日は持ってきてません。あぁ箱に入ってるんですか。ならきっとあると思いますよ、家に』と言っていた少し臀部が大きい(ケツのでかいは女嫌いだ、と言うのは言うに易し、ですね。女性にのみその着用が許可された、タイトなデニムが拘束するに足る形の良いヒップと言うのに異常に惹かれるのですよ、僕は。って言うかそこだけでも良いといえるような。少し自信の無い方には僕の前でスカートを着用することをお願いします。僕のために)ように思われた女性、に恋しました。両人ともうっすらと、でも確実に僕が過去恋に落ちたことのある女性(サークルの先輩のサトミさん、と後輩のリナちゃん)の影をその顔に持っていると言うことが僕を悲しくさせ、異常な性的興奮(脳内限定、勃起はしません)を僕にもたらすのでした。なぜ自身の恋愛観をここに書くかと言うと、アルフィーは恋愛映画、その批評には自身の恋愛観の提示が欠かせないでしょう。それが僕の恋愛文化履歴であり、The Love Cultureなのです(多分こんな熟語、英語には存在しないと思いますが)。恋愛映画を批評するものにはその覚悟がいるはず。『こういう人の書いた批評ならきっと僕にも近しいもだな』と思う人はこの映画、見てくれれば良いし『何だこの変態。死ねば良いのに。っていうか今から殺しに行ってやるよ。このペンチで前歯一本ずつ折ってやるから』と思う人は見なければ何のストレスも感じないことでしょう。あいつが『良い!良い!!』言ってたから見てみたけど全然良くねぇじゃねぇかよ、金と時間返せ、って言われる前にここの所を協調しておきます(ちなみにここまででこの“映画を”手放しに賞賛しているつもりは微塵もありません)。
そしてなぜ中間部の感想が無いのか?と言うと僕は生殖器官に悪性の腫瘍を宿し、その性で人生の遠回りを強いられた人間で、しかも腫瘍の発覚から手術は12時間も掛からず、その後の『悪性か良性か』と言う検査に二週間近く掛かり、その間に学校の試験を経験すると言う大掛かりなドッキリにでも掛けられた経験をしたからで、そういうのが共有できない人にとっては、この部分のアルフィーに起こる大事件に関する僕の考察は単なる妄想にしか見えないのでやめます。皆様方におかれましてはそれが大変な苦痛になるでしょうから。
何よりもカメラに語りかける、と言う描写は僕が文章中に( )を多用するのに似ているのでは無いか、と思って見ていたのです。最近は友人Y氏に( )が多いし長い、とお叱りを受けたので最近は自粛しております。読み易いですか?Y君?