スークレのガト・コスミコ

今さっきテレビ朝日系列のKBC藤子・F・不二雄さんの特集がありました。最後は今年のドラえもん映画の特集でしたが、予告編を見ただけでなぜか大号泣、な僕です。僕はあの作品(特定の何か、では無く“ドラえもん”という作品)についてすごい思い入れがあるようで、何故かはわかりませんが大長編とそれに添えられる30分クラスの小品を見ると自然と涙がでてきます。嗚咽一歩手前の、鼻水まで伴ったもので、エグエグ…オェッ(なんか泣きすぎるとオエッ、ってなりませんか?僕だけですかね?)…エグエグ。あの作品から友情とはなんぞや?思いやりって?愛情は?と言うことを学んだ(と自己分析している)ので、一連の作品の鑑賞には無条件に感情の高ぶりが伴うのです。難しいことは言わずに、愛・友情・その他諸々の人間的な賞賛されるべきismをすごく直接的(が、決して押し付けがましくは無く)に表現されており、それを鑑賞することは僕にとっては魂の浄化、とも言えるほど崇高さがあるのです。
スノビズムの塊みたいな、地方の大学で、中途半端に学歴にプライドを持ち、差別意識、卑屈…そういったもう目も当てられないような類の人種の僕ですが、そういった人の道を外れた人間にも正しい教えを紐解くかの作品群、それは布教活動に従事する宣教師に似ています。藤子氏がその生涯を漫画、というメディアにささげこのような素晴らしい作品を作り上げ、それが世界中で子供たちに向けメッセージを発していると言う事実は、ノーベル平和賞ものの偉業ではないでしょうか。
さあ皆さんで彼がノーベル平和賞を取れるようにノーベル賞認定評議委員会(←なんてあるのか?笑)に働きかけましょう。幾ら金品をつぎ込んでも、どのような暴力行為をとろうとも、なんとしても実現しなければ(これじゃあ平和でも何でもないですね・笑。一応言っておくと、これはイスラムの聖戦を揶揄してるわけではないのですよ。そんな単純な“平和のための暴力なんて矛盾じゃないか”と言う理論、いまどき誰も見向きもしないんだから、ほんとに)。
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最近バンドの話を一切しないので“もうあきらめたのかな?お前みたいな青二才は家でグジグジしてれば良いんだよ”と思われた方もいらっしゃるかもしれませんが、あきらめてませんよ!!とりあえずDJ機器とラップトップが扱える人だけでもお友達になりたいと思うのが、トミー・ゲレロへの中毒が最近再発した僕の今の望みです。ちかくのTSUTAYAでヒップホッポの棚に彼のCDが並べられており、あぁ一般の人がそういう認識ならそれもありかな、と思ったわけです。

Year of the Monkey

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