この国に巣くう病理1st “灰色の空を満たす欝のモード”

 この国(日本のことね。一応念押ししときますけど)は第二次大戦で一度どん底まで突き落とされました(誰に?と言う問いはもはや愚問ですね。自業自得と言えなくも無い側面もあることにはあるにはあるのですが)。これ、とある授業で散々言われるんですよね。だから戦後復興期の土木にケチつけることは出来ないって。んで、土木に特化しなくてもですねこれは言えると思いますね。敗戦が決まった瞬間(玉音放送の瞬間、としても良いんですけど、これはその当時を生きていた人にとって様々な感じ方があったと思います。超デリケートな問題ですのであやふやにしとこう・笑)、もうガラガラと音を立ててこの国は崩れていったのでは、と思われます。それは総体としても、個人としても、物理的にも、文化的にも、です。
そこから今日的な日本、を作り上げたのですから先人(って言ってもまだまだ沢山ご存命なのですが)には敬意を払わない訳にはいかないのです。実際凄いんですよ、敗戦直後の日本を見ると今で言うところの発展途上国が大災害にでも見舞われた風景のそれと大変そっくりで、60年でここまで持ってきたんですから。その道中大変な苦労があり、努力があり、愛があり、(決して“負”にばかり捉えるのではなく、それをバネにして、と言う“正”のものとしての)憎しみがあり、もうまだ20年と11ヶ月しか生きてない僕なんかには計り知れない色んなものがあったんでしょう(もうスゴ過ぎて、訳わっかんねぇよ・笑。やっぱりパワーを生み出すのは、混沌ですよ、ケイオスですよ!!)。
で、その頃(戦時最後期〜敗戦直後)のこの国を覆うモードは何だったかって言うとすんごい“欝”、でしょう。もう家は空襲で焼けちゃうし(って言うか辺り一面焼け野原)、家族は離れ離れ(生きてるのかどうかもわかんない)、万歳までして戦地に送り出したあの人は帰ってこないし、送り出された方は送り出された方で命からがら復員してみれば自分の国はボロボロで瓦礫の山、って言うきっと僕でも笑い飛ばせずに三日三晩、どころか残りの人生全てを泣きじゃくる(もしくは茫然自失で呆ける)ことに費やすであろう悲惨を通り越して『ここは地獄か』ってな状況でしょう。正直有り得ねぇ〜、見たいな、笑いながら泣いちゃう、って感じ。
んで、そこからの猛烈な“復興”。もうイケイケ、ヤレヤレ、矢でも鉄砲でも持って来いや!!、っー感じのアゲアゲな“躁”。って言うかそうでもなきゃやってらんない(←前文の“躁”と“そう”が係ってますよ・笑。って単なる親父ギャグかよ!!)時代だったと思います。“時代”と“人間”が全体として躁状態だった、って言うね。特に日本人ってさぁ、“みんなと一緒”って言うことに非常に敏感じゃないですか。一種のマス・ヒステリーですよね、これ。このときは“躁”だけど。焼け跡からもう竹の子みたいに高層ビルがニョッキニョキ。高速道路は日本中に出来て、自分の国でオリンピックまでやっちまってた(←最近になってオリンピックを開くのがどんなに大変か実感できるようになって来ました。頑張れFUKUOKA・笑)。気が付けば所得も二倍にまでなってて、常識じゃありえない変化がもう津波のように押し寄せてきた、と言うより自分達でジェネレイト、です。
そして90年代には行き着くとこまで来て、バブルもはじけちゃうし、コンセンサスとして“景気は悪い”って事になって国中がどん底の欝に↓DOWN↓。前段では“躁”に日本人的気質の効果が出ていたわけだけど今回は“欝”にそれが寄与しているのでは、ってこと。みんなが欝なのに自分だけ躁で浮かれてるのもねぇ、って感じの反応なのでしょう。
前テレビで景気と社会の動向(ブームとかね)がリンクしてると取れなくも無いって言ってたけどそれはこういった躁欝のモードとも関係しているんではないか、って思うわけです。