“感謝”と“愛を乞う文(フミ)”

“感謝”
皆様、素敵な寄せ書きありがとうございます。タンバリンに寄せ書き、と言うアクロバティックな贈り物はやはり所謂“パーカッション・クオリティー”のなせる技なのでしょうね(笑)。
ここ最後にいたって、みんなには一言“愛しています”と言っておきましょう。もちろん各人に於かれましては愛されるべき(もしくは愛すべき)素敵な男性(女性)がお在りかと思いますが、その方々からは誤解の無い範囲での愛情ですからご心配なく。また“大好き”と言うフレーズはそういう人々のために取って置かれた方がよろしいのでは、ともご忠告申し上げます。うら若き乙女、と言うあまりにも甘美な存在からのそのような魅惑的なお言葉は、多く男性諸氏(僕を含む)にとって大変大きな恋愛誘発係数(そんなものがあれば、ですが)を伴ったもので在りますゆえ。
それではこれからの学生生活においては、学業もサークルも、もちろん恋愛も十二分に堪能してくださいませ。アディオ〜ス(笑)。
P.S. ほら、エロく無い話だってちゃんとできるんですよ(笑)。


“愛を乞う文(フミ)”
昨晩はすいませんでした。
僕は器用でも、度量の大きい人間でもないのです。
意図的にそれまでには慣習的でもあったあなた方とのコミュニケーションを三週間も断つ、と言ったことが昨晩における僕のあなた方への態度につながったことは否めません。この件に関して、僕の精神的病理ともいえる悪癖(というか構造上の捻れ)が多くの原因を担っており、僕が憎まれるべき存在であるのもまた確かであります。
あまりにも使い古された感の在る言葉ですが『愛していた(る)、故の深い憎悪』の重さに耐えられず、いきおいそれが非情で残酷な“無関心”に反転しそうになっていたとき、メールをいただき本当に当惑しました。過去に僕は、自分から墓場に追いやった人間関係を、積極的(自然に任せると言うのではなく)に再生する、という経験が無かったからです。
“出来ることならこの場から逃げ出したい”と思いながら、“許されるならもう一度この手で抱きしめたい(もしくは抱きしめて欲しい)”(←比喩的な表現なので、額面通りにはお受け取りなさらぬように)という欲求を持つ、と言う引き裂かれた感覚を乱暴にも昨晩はアルコールで浸していたのです、知覚出来ないように。
こんな人を小馬鹿にしたような文章ですいませんが、僕はこの文章を書きながら軽く泣いている、というのは本当です。