友人との和解/病理の治癒

『脱吹奏楽宣言』ってのと縁無きにしもあらず、って感じの今日のお題。
実は起き抜けにこの“日記”を書いています。BGMはハービー・ハンコックの『処女航海』、朝最初に飲んだ液体がまたしてもダイエットコークだ、と言う健康指向の不健康っぷり。今日の朝ばかりは、イブの余韻も覚めやらぬ恋人達が朝っぱらからベッドの中でお互いの愛を確認しあっているかもしれません。その彼女or彼にとっては“起抜けの水分補給”が“お相手の何かしらの体液”であるかもしれませんね。こちらの方が僕なんかより100倍健康的ではないでしょうか?一面の銀世界も、サンタからのプレゼントも僕のことを待っていなかったクリスマスの朝。やはり隣からのセックスにまつわるであろう女性の嬌声を朝一(って言っても、午前11時半)で聞かされ、「もはや僕の幻聴では?」と思いはじめるとともに、「ただ爆音でAVを見ているだけなのでは?」とも推測しています。
と、ほっといたらいつまでもセクシャルな話題で引っ張りそうなのでそろそろ本題を。
題名に関する出来事(以下“和解”)は昨日の日記を書く前に起こっていたのですが昨日は書きませんでした。この“和解”が僕にこの日記を始めさせる契機となったかはわかりませんが(出来事から12時間が過ぎ冷静に俯瞰して見ると、半分くらいはそうじゃないのかなぁ、とも思い出しています)、とりあえず『このまま終わったらこの先きっと、奴がどこでどんな風に死のうが、僕は一切興味を持たないだろうね』(←こういったフレーズを考えたのもその“和解”の二、三時間前であった、と言う事実も何か運命的なもの…)って言う病中に見舞いまで来ていただいた人に対して、もうなんとも顔向けできないほどの(愛や憎悪の対極にある)残酷な無関心でいっぱいだった僕の精神状態をナチュラルな状態にしていただいたのはやはり“治癒”という他ありません。この人には折りに触れ一種の“治癒”的なものを僕に施す、と言う特性があったのですがここ最近、僕の精神的病理(すぐこうやって病的なもの求めるのは現代日本人の悪い癖ですね)ともいえなくも無いある奇怪な行動とそれに伴う鬱屈した感情のせいで、大変悲しい思いをさせてしまったようです。
甘美なものを摂取し続けるのに抵抗を示す、と言えばストイックでハードボイルド、禁欲的な響きがするかもしれませんがもっと卑近な書き方をすれば『その人とのコミュニケーションを自分が欲している(もしくは社会的要請から必要とされている)にもかかわらず、没交渉に陥る』と言う感じです。この僕の癖をきちんと精神分析によって治療しないといけない気がしますが、自身ではどこにそのトラウマがあるのかはわかりません。
要は僕にはそういう癖があって、もう大人なんだから何とかしろよ!!って言う突込みを受けるであろうに、何とかごまかしごまかし日々を過ごしていて、皆様には多大なご迷惑をおかけして申し訳ない。って事が言いたかったのです。スマン、S。
起きてからこの“日記”を書き始めて小一時間過ぎたのでそろそろ終わりにします。もう恋人達はチェックアウトを済ませて寒く気だるい空気の中、帰宅の途についている頃でしょうか。はたまたホテル内でのブランチ、などの最中なのでしょうか(疲れた朝には中華粥などお薦め)。
ではでは皆様良い一日を。僕はこれから帰省前の部屋の片づけをします(多分一日じゃ終わらない・笑)。