スカンディナヴィアよりの使者

高岡沙紀を理想の女性とする後輩、岡田君・福山雅治小池徹平が良いと言う小柄な先輩。前者からは、同性愛者に格好の標的とされそうな中性感、後者からはロリータ・コンプレックスの欲求の解消が可能であろう幼児性、を僕は読み取ります。両者とも同性愛や、年長者への憧憬といったものは持ち合わせていないようなのでこの二人に対峙するそういった傾向の性をお持ちの方は葛藤するのでしょうか。広く“満たされない欲求”が横行しているようですね。
そしてそんな出席者の面々、と言う飲み会で僕は具象として伊東美咲を上げ何らかの恋愛についての討論を大学生の集まりらしくする訳ですが、如何せんそんな話興味がないので先輩に膝枕をしてもらっていたのでした。

『語ることと書くことは違う』と言うある詩人の言より、僕が自身へのセラピーとして取り入れているこの文章を書いてアップすると言う行為がそのどちらに属するのかという美もんが起こる。語ることは過去(もうすでに起こったこと)についてしか語れず、書く事は未来である、と。僕が未来へ向けての所産を生産しているとは思えませんが、書いてる端から過去になるような文章、と言う訳でもありません(本人が『そういうつもりではない』と言う意味で)。と言うわけで僕の文章は過去と未来の狭間、イマ、にあるべくしてこうしてテキストファイルとしてこの世に生を受けているのでしょう。悲しいかな、明日になろうと、千年前にタイムスリップしてもイマなのです。